2人は立教大学の放送研究会の先輩・後輩。湘南にあった徳光邸で20人で合宿を行った。合宿では発声練習など、アナウンスの練習を行った。みのさんは「20人の若者の面倒を1週間もみれるなんて、日本テレビは給料がいいんだろなと思った」などと語った。徳光さんはみのさん達を日本テレビに案内してくれたという。みのさんは奥さんの助言で文化放送の試験を受け、見事に合格。
徳光さんの奥さんは日テレ近くの喫茶店の看板娘。初期の認知症になり、物覚えが悪くなっているが、徳光さんは会話を欠かさない。一方、みのさんは9年前に奥さんを亡くした。奥さんは立教大学放送研究会の後輩だった。みのさんの奥さんについて、徳光さんは「天才ですよね。今日のコーディネートも奥さんのもの」とコメント。徳光さんはみのさんに「完全に休まずに、1日でも長く現役続けましょうよ」とエールを送り、みのさんは「僕らの憧れの的である徳さんを、徳さん、徳さんと、いつでも呼べるように元気でいたい」と返した。
徳光さんの奥さんは日テレ近くの喫茶店の看板娘。初期の認知症になり、物覚えが悪くなっているが、徳光さんは会話を欠かさない。一方、みのさんは9年前に奥さんを亡くした。奥さんは立教大学放送研究会の後輩だった。みのさんの奥さんについて、徳光さんは「天才ですよね。今日のコーディネートも奥さんのもの」とコメント。徳光さんはみのさんに「完全に休まずに、1日でも長く現役続けましょうよ」とエールを送り、みのさんは「僕らの憧れの的である徳さんを、徳さん、徳さんと、いつでも呼べるように元気でいたい」と返した。