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「濱田武」 のテレビ露出情報

遠藤航は「1日のうち練習は2~3時間。残りの20時間強をどう過ごすかが大事」と話していた。柿谷は「一生懸命やるのが恥ずかしい。体を張るプレーがダサいと思っていた」とプロデビューした10代を振り返り、朝食は抜く、練習時間に遅刻する、同じ失敗を繰り返すなどプロ意識の欠片もなかったという。レンタル移籍先の徳島で監督、チームメイトらから「このままだとサッカー選手として終わるよ」と言われた時、「自分にはサッカーしかない」と危機意識が芽生えた。さらに濱田武氏が監視役であり、兄のような存在でもあったといい、柿谷は「濱ちゃんより先に練習場に行こう、試合で濱ちゃんに褒められたい」と意識が変わったという。
Jリーグ通算111得点をマークした鄭大世は「人の道から外れることができない小心者」と語る。さらに、慕うような存在はおらず、一匹狼、個人主義者だったといい、失敗をしたことも。そんな鄭大世はネガティブな要素を見つけ、それに対する怒りをモチベーションにして異彩を放った。柿谷は小学6年から日本代表に選抜されたが、日の丸を背負うという意識はなかったという。2009年を最後に世代別代表から姿を消すも、4年後、ザッケローニ氏からA代表に初招集された。柿谷は同年の東アジアカップで得点王に輝き、チームの初優勝に貢献した。清武弘嗣ら同年代の勇姿を見て、日の丸を背負って戦いたいと思わされたという。
2010年のW杯、北朝鮮代表は44年ぶりに本大会に出場。鄭大世はメディアでは「国のために団結して勝つ」などと公言していた一方、内心はエゴ、利己的、野心で満ちていたという。試合では活躍していた鄭大世だったが、技術で劣るチームメイトを見下すなどチームの和を乱していた。だが、3次予選、最終予選でチームメイトが著しい成長を見せ、鄭大世はチームへの愛着が芽生えていった。ブラジル戦前の国歌斉唱では1人のサッカー選手としての歓喜に溢れ、涙を禁じ得なかったという。

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