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「灘区(兵庫)」 のテレビ露出情報

2本の8mmテープ。撮影されたのは30年前のあの日。そこには報じられることのなかった貴重な映像の数々が収められていた。VHSや8mmテープといったいわゆる“磁気テープ”に記録された映像たちが今年をめどに見られなくなるかもしれない。ユネスコが注意喚起した2025年問題に急かされ、今、ダビング業者には月に2万本ものテープが持ち込まれる。およそ20年から30年という耐用年数を迎えその寿命を終えようとしている磁気テープたち。その30年といえば、一昨日、発生から30年の節目を迎えた阪神淡路大震災だ。死者、6434人行方不明者、3人。その甚大な被害に学び、未来に生かそうと作られた人と防災未来センターの一角にはささやかなコーナーがある。集められたのはあの日、市民たちが記録した貴重なビデオ映像だ。テープが寿命を迎える前にと映像を寄贈した一人が今年85歳になる隆康さん。若い頃から手にしたビデオカメラは5台以上。その、撮りためたビデオの中に。記録したのは今は懐かしい「Hi8」。撮影したきり、約30年間見ることがなかったというそのテープには、震災の2日前、95年1月15日と刻まれている。映っていたのは成人式の支度をする息子の姿だった。その2日後。
1995年1月17日午前5時46分。隆康さんのカメラはまず、自室の惨状を捉えている。床に散らばるのは撮りためたVHSテープなど。倒れたタンスの上には音響マニアでもあった隆康さん自慢のオープンデッキも見える。幸いなことに高台にあった自宅が倒壊することはなかった。だが、街を見下ろすと。しかもそんな地獄絵図の中には、当時24歳だった娘が麓の街で一人暮らしをしていた。無我夢中で坂を駆け下りたがそんな中、今でも心を引き裂かれるのが、自分の身勝手さに苛まれながら辿り着いた娘の最寄り駅は、もう見る影もなかった。娘の部屋は倒壊を免れ、その後無事に実家に戻った。娘は父のカメラを手にするとこんな姿を撮影している。きっと、娘にとって駆けつけてくれたお父さんはスーパーマンのように見えただろう。その後その日のうちに家族4人で近所の小学校に避難した隆康さんは、そこでの生活も余すことなく記録している。その大震災は高度成長期を終えた日本の都市が初めて直面した未曾有の震災であり国も、自治体も、そして人々も全てが初めての経験だった。隆康さんのカメラに映っていたのは廊下にまで折り重なって眠る被災者たちや。水がなく流せないままのトイレなどその全てが、想定外のことばかり。そんな中、人々は手探りで生き延びることに必死だった。震災から5日、自宅の破損具合を確かめに戻った隆康さんに小さな奇跡が起こる。同級生の宮崎さんが隆康さん家族を大阪の自宅に招き入れた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年1月19日放送 22:00 - 23:15 フジテレビ
Mr.サンデー(ニュース)
偶然繋がった電話で、大阪の同級生宅に身を寄せることが出来た隆康さん一家。照れくさそうに笑う宮崎さん、その向かいには5日ぶりに風呂に浸かった隆康さんの姿も。マスメディアが踏み込むことのできない市民たちの記録。そんな、ささやかな出来事は発生から約20日で自宅に戻ったときにも。どうしても撮っておきたかった知人や親戚の親切。

2025年1月18日放送 5:10 - 5:35 NHK総合
NHK地域局発(オープニング)
今回の旅の舞台は神戸市灘区。連続テレビ小説 おむすびの新納慎也さんと内場勝則さんが旅をする。

2025年1月17日放送 13:55 - 15:50 日本テレビ
情報ライブ ミヤネ屋(ニュース)
1995年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災。10万棟を超える住宅が全壊し、285件もの火災が発生した。犠牲者は6434人で負傷者は4万人以上に上る。震災当時、朝の情報番組で司会を務めていた宮根さんは「すごくショックだった。今でも鮮明に覚えている」などと話した。あれから30年が経過し、宮根さんは「街の復興と人の心の復興は違う」などとも話した。[…続きを読む]

2025年1月17日放送 0:19 - 0:20 NHK総合
あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜(あの日を胸に〜阪神・淡路大震災30年〜)
中学生で始めたフルートを応援してくれたのは父。ケンカしたまま父はいなくなった。将来、フルートを続けられるように父が学校の先生に相談していたことを後から知ったという。練習し、夢を叶えた久保田裕美さん。

2025年1月16日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
阪神・淡路大震災からあすで30年。地震直後に当時の神戸市職員が撮影した8mmビデオでの映像を紹介。死者6434人のうち、窒息、圧死が約8割。あの日を記録した元神戸市広報課・松崎太亮さんの30年間は震災に負けない街づくりに注がれた。一人ひとりの記録と記憶は30年経った今も地域の子供たちにつながっている。明日、神戸をはじめとする大震災の被災地域は祈りに包まれる。[…続きを読む]

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