漫画家の手塚治虫は幼い頃から様々な娯楽、文化に触れ、両親の影響で漫画が好きになった。9歳の時に描いた作品は友人、教師の間で好評を博す。中学時代、病気で両手を切断する寸前になったが、医師に助けられた。大学の医学部へ進むも、漫画の執筆に時間を費やした。1946年に漫画家としてデビューし、現在の漫画の読み方を定着させる。また、動物の視点から自然と人間の関係を描いた「ジャングル大帝」、人とロボットが共存する世界が舞台の「鉄腕アトム」、哲学の問題を振り下げた「火の鳥」など様々なジャンルの作品を発表。さらにアニメ制作にも着手した。60年代後半からライバルが次々と台頭し、社会や人の心の暗部を描いた「劇画」が流行となった。手塚は劇画を研究した末、医療漫画の金字塔「ブラック・ジャック」を発表。56歳の時、手塚は「アイデアだけはバーゲンセールしてもいいぐらいある」と話している。生涯で15万ページを描いた手塚は1989年2月9日、60歳で死去した。