かつて暮らしていた山の上の集落まで車で案内してもらった。母屋の玄関にはまだ表札がかかっていた。名前の横には特別社員と書かれていた。日本赤十字社に社費を納めた人に交付される門標。結婚して誠一さんが家に来たときは親子2世帯4人で暮らした。床下には芋を埋める芋壺という穴があった。土の中が暖かいから腐らないという。道路はなく、ヨシエさんは獣道を歩いて小学校まで通っていた。帰りは1時間半かかっていた。2人の男の子を授かった誠一さんヨシエさん夫妻は、長男の小学校入学時に麓へ移住した。9月から12月にかけて収穫するみかんの量は約6トン。週に1、2回JAに出荷している。2人は午前の作業を終えるとお昼ご飯を作った。海の近くに住んでいるため知り合いの人から魚をもらえるという。羽釜で炊いた烏賊ご飯と鱧のお吸い物を作り、捜索隊も振る舞ってもらった。誠一さんは麓の家から山の畑まで上がってるのが楽しみ、できたらこの山に散骨してほしいと話した。