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「牛島司令官」 のテレビ露出情報

本土復帰とともに沖縄に発足した自衛隊。県民の自衛隊への反発が強かった当時、隊員の大学通学阻止や成人式への参加拒否など、県民の反自衛隊感情の高まりはあらゆる面に広がっていた。こうした県民感情の背景にあるのが沖縄戦の記憶。凄惨な地上戦の経験から戦争につながる全てのものを拒否し、平和を望んだ沖縄。日本兵によるごうの追い出しや、地元住民をスパイ視した虐殺などを経験した県民は、自衛隊に旧日本軍の姿を重ね合わせていた。発足してから半世紀あまり。その間、沖縄の自衛隊は、不発弾処理や離島における救急搬送などの任務を通じ、少しずつ県民の信頼を得てきた。しかし今、政府が推し進める防衛力強化のための南西シフトによって進むなし崩し的な自衛隊基地増強。沖縄戦を体験した男性は警鐘を鳴らす。「軍隊は住民を守らない」とのい言葉は沖縄戦の教訓として心に刻まれてきた。
沖縄の自衛隊がホームページに載せている旧日本軍・牛島司令官の辞世の句。こうした姿にもまた、県民感情は揺さぶられている。戦後79年、沖縄「異例の日」。沖縄県・玉城知事は「自衛隊の急激な配備拡張が勧められ、遺産な沖縄戦の記憶と相まって、沖縄県民は強い不安を抱いている」と述べた。沖縄線の記憶が重なる今、自衛隊の沖縄への向き合い方が問われている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年6月23日放送 1:25 - 2:20 NHK総合
NHKスペシャル戦い、そして、死んでいく~沖縄戦 発掘された米軍録音記録~
1945年6月、沖縄戦はすでに2か月を超えていた。5月末に日本人司令部のある首里を制圧し事実上の勝敗は決していたが、日本軍は最南端へ撤退しながらの持久戦を決断。そこには大勢の住民も避難していた。録音記録には鉄の暴風と呼ばれたアメリカ軍の砲撃音が残されていた。壕に立てこもって抵抗を続ける日本軍を前に、アメリカ兵たちの声は狂気を帯びていった。ランキン伍長は日本兵[…続きを読む]

2024年6月22日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
第32軍が創設されたのは沖縄戦開戦の1年前、1944年3月22日。その後、実際の配備が始まると、一気に沖縄は日本軍の色に染まっていった。男性が入学したばかりの県立農林学校にも突然日本軍が入ってきた。今も立つ校門には無数の弾痕が残っている。男性は「司令部になった。すっかり学校生活は変わった。寮を追いやられた。校舎はすべて軍が接収した」と語った。その価値観に染め[…続きを読む]

2024年6月21日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
1945年5月22日、第32軍は米軍が首里に迫ってきたため多くの住民が避難していた南部への撤退を決めた。逃げた先にいた住民などが戦闘に巻き込まれ、沖縄戦で亡くなった人の半数が犠牲になったと言われている。瀬名波さんは「南部撤退がなければ何万もの住民を犠牲にしないでよかった」などと話した。いわば第32軍司令部壕は沖縄戦の悲劇の始まりの地。多くの住民を戦禍に巻き込[…続きを読む]

2024年5月23日放送 5:00 - 6:00 NHK総合
NHKニュース おはよう日本(ニュース)
沖縄戦で旧日本軍が造った司令部壕の新たな映像。司令部壕は旧日本軍の第32軍が造った。当時1000人以上がいたと考えられている。場所は首里城の地下で、攻撃に耐えられる強い地盤だったこと、戦況を把握しやすい高台だったことから選ばれた。全長およそ1キロの坑道が、南北に縦断するように掘られている。4年前に第5坑道の映像が公開され、新たに第2、第3坑道が撮影された。そ[…続きを読む]

2024年5月22日放送 19:00 - 19:30 NHK総合
NHKニュース7(ニュース)
沖縄戦で、旧日本軍が造った司令部壕の新たな映像。司令部壕は旧日本軍の第32軍が造った。当時1000人以上がいたと考えられている。場所は首里城の地下。攻撃に耐えられる強い地盤だったこと、戦況を把握しやすい高台だったことから選ばれた。全長およそ1キロの坑道が、南北に縦断するように掘られている。4年前に第5坑道の映像が公開され、新たに第2、第3坑道が撮影された。そ[…続きを読む]

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