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「特攻隊戦没者慰霊顕彰会」 のテレビ露出情報

元軍医の蒲原宏さん。1923年、新潟市内の寺の長男として生まれる。18歳で太平洋戦争が始まると、「生きものを殺さない」という仏教の戒律を守るため医者を目指す。1945年2月、鹿児島の基地に軍医として配属される。このころの日本は劣勢。44年10月、搭乗員もろとも体当りする特攻作戦が始まった。当時蒲原さんが命じられたのは、特攻兵にヒロポン(覚醒剤)を投与すること。当時、各国が類似の覚せい剤を使っていた。
元軍医の蒲原宏さん。戦時中、特攻隊員にヒロポン(覚醒剤)を投与。出撃の際、常軌を逸した行動をしている兵士もいた。「軍医は特攻に行かなくていいな」と言わたことも。当時いた串良基地は現在の串良平和公園。この基地から363人の特攻隊員が出撃。地下壕は今も残っている。蒲原さんが当時聞いたので思い出深いのは、海軍司令官からの「沖縄が陥落した」という旨の伝令。
1945年8月15日、太平洋戦争が終戦。航空機による特攻はその日まで続けられ、計3875人が戦死。その多くは二十歳前後の若者。元軍医の蒲原宏さんは終戦後、「元気が出る薬」として兵士らに投与していたものが覚醒剤であったことを知る。このころ国民の間で覚せい剤が流行。1951年に覚せい剤取締法が制定され、使用や所持が全面的に禁じられた。蒲原さんは整形外科医となったが、ヒロポンのことについては語らなかった。転機は80歳を過ぎたころ。自分の死が近づき、声を出し続ける意義に気づき始めたという。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月25日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ
NNNドキュメント’25(オープニング)
101歳の誕生日を迎えた元整形外科医の蒲原宏さん。太平洋戦争末期、日本軍が行った特攻。3875人の若者が犠牲となった。蒲原さんは当時、軍医として隊員にヒロポン(覚醒剤)を投与。蒲原さんは今年3月3日、永眠。命が尽きる寸前まで背負い続けた後悔、そして未来に託した願いとは。

2025年8月14日放送 22:00 - 23:56 TBS
戦後80年特別番組 なぜ君は戦争に?(“終戦後”なぜ特攻に?)
奈緒が戦争について話を聞くため福島・いわき市を訪ねた。約4000人の命が奪われた特攻作戦だが、その中には終戦後に特攻に出た22人の若者たちがいた。最後の特攻隊員の親族の道脇紗知さん。曽祖父の弟が大木正夫で、当時21歳だった。道脇さんは元特攻隊員ら関係者30人以上に話を聞き、大木の思いを探った。大木には芳子さんという大切な人がいたが、なぜ彼女を置いて最後の特攻[…続きを読む]

2025年8月14日放送 0:35 - 1:47 NHK総合
NHKスペシャルNHKスペシャル
1941年、太平洋戦争が開戦。直後、破竹の勢いで占領地を広げていった日本。しかし、わずか半年後、ミッドウェー海戦を期に太平洋で敗北を重ね、勢力圏を縮小。死守すべき領域として絶対国防圏を設定した。開戦以来、日本の勝利を信じていた主婦・金原まさ子(33)。その頃、アメリカでは最新の戦略爆撃機B-29。それまでの爆撃機の能力をはるかに凌ぐものだった。その出撃拠点と[…続きを読む]

2025年8月2日放送 12:40 - 12:45 NHK総合
Nスペ5min.(Nスペ5min.)
1944年、太平洋戦争の戦火は市民が暮らす街にも及んだ。この年、軍は戦局打開のため特攻作戦に出る。人間魚雷「回天」で敵艦に突撃。最初に出撃命令を受けた今西太一の実家は京都の和菓子屋。父と妹を気遣い度々手紙を送っていた。今西は上官から短刀を受け取り、11月8日、太平洋へと向かった。そして11月20日、今西の回天が潜水艦から出撃。空と海の特攻でおよそ6000人が[…続きを読む]

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