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101歳の誕生日を迎えた元整形外科医の蒲原宏さん。太平洋戦争末期、日本軍が行った特攻。3875人の若者が犠牲となった。蒲原さんは当時、軍医として隊員にヒロポン(覚醒剤)を投与。蒲原さんは今年3月3日、永眠。命が尽きる寸前まで背負い続けた後悔、そして未来に託した願いとは。
元軍医の蒲原宏さん。1923年、新潟市内の寺の長男として生まれる。18歳で太平洋戦争が始まると、「生きものを殺さない」という仏教の戒律を守るため医者を目指す。1945年2月、鹿児島の基地に軍医として配属される。このころの日本は劣勢。44年10月、搭乗員もろとも体当りする特攻作戦が始まった。当時蒲原さんが命じられたのは、特攻兵にヒロポン(覚醒剤)を投与すること。当時、各国が類似の覚せい剤を使っていた。
元軍医の蒲原宏さん。戦時中、特攻隊員にヒロポン(覚醒剤)を投与。出撃の際、常軌を逸した行動をしている兵士もいた。「軍医は特攻に行かなくていいな」と言わたことも。当時いた串良基地は現在の串良平和公園。この基地から363人の特攻隊員が出撃。地下壕は今も残っている。蒲原さんが当時聞いたので思い出深いのは、海軍司令官からの「沖縄が陥落した」という旨の伝令。
1945年8月15日、太平洋戦争が終戦。航空機による特攻はその日まで続けられ、計3875人が戦死。その多くは二十歳前後の若者。元軍医の蒲原宏さんは終戦後、「元気が出る薬」として兵士らに投与していたものが覚醒剤であったことを知る。このころ国民の間で覚せい剤が流行。1951年に覚せい剤取締法が制定され、使用や所持が全面的に禁じられた。蒲原さんは整形外科医となったが、ヒロポンのことについては語らなかった。転機は80歳を過ぎたころ。自分の死が近づき、声を出し続ける意義に気づき始めたという。
元軍医の蒲原宏さん。戦時中、特攻隊員にヒロポン(覚醒剤)を投与。特攻隊の出撃基地があった鹿児島県鹿屋市。毎年秋には戦没者追悼式が開かれている。94歳の嶋田角郎さんは元特攻隊待機要員。出撃はしなかったが、印象深いのは特攻に行くのに笑顔だった先輩の姿。覚醒剤を投与されていたとみられる。嶋田さんは2月に死去。
鳥取県境港市の松下薫さんは95歳。15歳で特攻隊員となるが、出撃せず終戦。当時宿舎の警備兵から聞いた話によると、弱気になっている特攻隊員には軍医がヒロポン(覚醒剤)を投与していた。鹿児島市の船川睦夫さんは98歳。出撃するもエンジントラブルで帰還した。「隊員たちは純粋な思いで死んでいった」と当時を振り返る。ヒロポンの件については「経験も聞いたこともない」とした。船川さんは今年4月に死去。ここまでの番組の取材では「覚醒剤を投与された」との証言は得られず。専門家は「兵士の名誉を汚すのはタブー」「認めたくない人が多いと思う」と指摘する。
元軍医の蒲原宏さん。去年12月、孫とひ孫が蒲原さんのもとを訪問。改めて戦争体験について詳しく聞いてみたいと思ったそう。「次の時代に人には味わってもらいたくない」「知らないのは罪」など話した。その2か月の3月3日、蒲原さんは101歳で死去。最後に詠んだのは「露の世に残す不戦の志」。
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