2025年8月4日放送 0:55 - 1:25 日本テレビ

NNNドキュメント’25
「NEVER AGAIN覚悟 ヒロシマから世界へ…」

出演者
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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

NEVER AGAIN 覚悟 ヒロシマから世界へ…

鐘が鳴り響く午前8時15分、1945年8月6日に世界で初めて原子爆弾が落とされた時刻である。広島テレビは核兵器の廃絶や平和を訴えるため開局以来ずっとドキュメンタリーを撮り続けている。決して繰り返してはならないという被爆者の覚悟の言葉を伝えていく。

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原子爆弾広島テレビ放送
NEVER AGAIN 覚悟 ヒロシマから世界へ…
NEVER AGAIN 覚悟 ヒロシマから世界へ… 鮮烈 ヒロシマ被爆の記憶

94歳となった被爆者の森下弘は被爆当時14歳であり、全身大やけどを負った。森下はケロイドを当初は隠していたが事実を伝えていくために隠すことをやめ、教壇に立ち続けた。森下は平和学習に力を注ぎ、自宅にはその膨大な資料が残されている。被爆当時15歳であった切明千枝子は戦時中には軍需工場で働いており、戦争末期時には新しい軍服はなく、日本の勝利を疑ったことがあり、また亡くなった下級生たちの遺体を自分たちが火葬したのだなどと明かした。被爆当時生後8か月であった近藤紘子は広島流川教会の牧師の娘として生まれ、教会は被爆者たちの拠り所となっていた。近藤はたった一つの爆弾が広島に落とされたことでケロイドが残り、大人になったときにはB29から爆弾を落とした人たちを見つけ出して敵を絶対に討つと決めていたなどと伝えた。被爆者の救済活動でアメリカの番組に一家で出演した近藤はB29「エノラ・ゲイ」の副操縦士であったロバート・ルイスと対面し、涙して過ちを認め後悔する姿に自分と同じ人間だと感じ、憎むべきは戦争だと気付かされたのだなどと打ち明けた。

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B-29Ralph Edwards ProductionsReelin’ In The Years Productionsケロイドロバート・ルイス広島流川教会

被爆当時4歳であった佐々木雅弘は当時2歳であった妹と被爆した。妹は10年後に白血病と診断され、千羽折ったら願いが叶うと信じて鶴を折り続けた。妹は12歳でこの世を去り、天に折り鶴を掲げる原爆の子の像は世界の平和を祈り続けていると伝えた。

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佐々木禎子原爆の子の像
NEVER AGAIN 覚悟 ヒロシマから世界へ… 伝承 世界の中のヒロシマ

世界中から広島を訪れる人は去年過去最多となり、平和のメッセージを発信し続けている。2016年、当時現職大統領であったオバマ大統領(当時)が広島を訪問した。森重昭は40年以上活動を続け12人の被爆米兵の身元を特定した。去年12月、核兵器廃絶を訴える活動が評価された日本被団協はノーベル平和賞を受賞した。日本被団協の箕牧智之代表委員は核兵器を使用することで自国を守ることは不可能ななどと話した。被爆体験を語っている八幡照子は80歳を過ぎてから英会話を学び、英語でも話し伝えている。関西で生まれ育った八幡は空襲が激しくなると祖母の家がある広島へ逃れた。当時八幡は爆心地から2.5km離れた自宅に家族と一緒にいたなどと明かした。八幡は時間に余裕さえあればカフェで英語で伝える練習をしており、ヨーロッパで証言活動する仕事のオファーが入っていた。

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ノーベル平和賞バラク・オバマ広島平和記念公園日本原水爆被害者団体協議会

6月、広島空港から世界に被爆体験を伝えるために八幡は飛びだった。ロンドンに到着した八幡は孫の恵と合流した。八幡は孫・恵のサポートを受けながらジャパン・ハウス ロンドンにて練習を重ねてきた英語で被爆体験を伝えた。八幡は生死の狭間で感じた家族の愛を聴衆に強く問いかけた。孫・恵は祖母の物語を永遠に語り継ぎ、決して失われないようにすることが大切などと語った。

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ジャパン・ハウス ロンドンロンドン(イギリス)広島空港
NEVER AGAIN 覚悟 ヒロシマから世界へ…

八幡はイギリスの若者たちとの交流会に参加していた。若者から核なき世界を目指す上で非核保有国の役割について問われた八幡は核の強さを一人一人が理解し、そうすることで市民が大きな力となって国を動かすのであり、核を持っていない国はその役目が一番大事なのだなどと伝えた。近藤ら被爆者たちは地球上で一緒に暮らす同じ人間なのだから、戦争することは間違っており、互いに認め合うべきなのだなどと語った。

(エンディング)
次回予告

次回予告。

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