北の富士さん北海道出身で1970年に横綱に昇進し通算10度の幕内優勝。ライバル玉の海と並んで当時は「北玉時代」と呼ばれていた。また美声をかわれてレコードを出したこともあり、休場直後にサーフィンをして注意を受けたことがあるなど現代っ子横綱とも呼ばれていた。横野レイコは、北の富士さんが来ると力士も取材陣もみんなが注目すると話した。引退後は九重親方として千代の富士と北勝海の2人の横綱を育てた。日本相撲協会退職後は辛口解説などで角界のご意見番として盛り上げた。また豪快伝説として中洲の屋台を貸し切って記者に振る舞う、パリ公演の際に化粧まわしが燃え開催危機になった時に全部屋へ連絡して化粧まわしを集めてパリに送るなどが紹介された。辛口解説については全然狙った発言ではなく自然体、なかなか横綱になれなかった稀勢の里を応援していたなどのエピソードが語られた。