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「玉音放送」 のテレビ露出情報

熊谷空襲について語る活動をしている米田主美さん(78)。誕生日は昭和20年8月14日、熊谷空襲の日。終戦の前夜に行われた熊谷空襲。当時の市街地の3分の2が焼失し、266人が死亡した。終戦前、最後の空襲のひとつ。米田さんはその8月14日に母親利起子さんの疎開先の埼玉県秩父市で生まれた。熊谷市の実家は空襲で全焼、父の主登さんは陸軍の航空士官で米田さんが生まれる5ヶ月前に戦死。母親は熊谷市の焼け跡で懸命に幼子を育てた。米田さんが空襲について語るようになったのは定年退職したあと。趣味で詩を書き始め自分の生い立ちに向き合ううち、心の奥底の思いを伝えたいと思うようになった。戦時中のことは直接知らない米田さんだが、母親から聞いた父親の話などを元に戦争と平和を考える作品を生み出してきた。米田さんは8年前に市民の会を立ち上げ、熊谷空襲を伝える活動に取り組んでいる。今も残る空襲の傷痕や慰霊碑をめぐり、戦争を繰り返してはいけないと訴えている。戦跡をたどるツアーでは顔の部分に焼けた痕が残る弘法大師像や幹に焦げた痕が残るけやきの大木などを案内する。空襲のことを伝える米田さんの思いを受け継ごうという若者も現れている。この日、開かれたシンポジウムには地元出身の大学生が参加。戦跡ツアーに参加するなどして米田さんから空襲を学んできた。今度は大学生が伝える側になって、空襲について次の世代に語り継ごうとしている。今年の8月14日。米田米田さんは「78年間、日本が平和が続いたから私も78年目の誕生日を迎えられるどうしても伝えなくちゃいけないという気持ちがある」などコメントしている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年5月9日放送 13:05 - 13:55 NHK総合
列島ニュース(首都圏局 昼のニュース)
群馬県邑楽町でのちに町長を務めた男性が太平洋戦争の末期の空襲を受けた時の様子や、戦後の復興に向かう思いなどを3年間つづった日記が見つかった。日記は、終戦前から今の群馬県邑楽町に住み、のちに町長を務めた相場定利さんが自宅に保管していたもので、息子の一夫さんが見つけた。昭和20年1月から昭和22年12月までの3年間、ほぼ毎日つづられている。

2024年1月13日放送 18:30 - 20:00 テレビ朝日
100歳に聞く。〜人生最高の瞬間〜100歳に聞く!
店には1日約200人の来客がある。金子さんは1924年生まれで公務員だった。大臣室で終戦の玉音放送を聴いたという。約40年間秘書を続け定年退職した。365日趣味に生きているという。

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