- 出演者
- 檜山靖洋 八田知大 首藤奈知子 三條雅幸 副島萌生
埼玉県熊谷市は終戦前日の夜からアメリカ軍による空襲を受け、266人が死亡、市街地の3分の2が焼け野原になった。地元の遺族や住民などで作る実行委員会では犠牲者を慰霊しようと毎年灯ろう流しを行っている。昨日は黙祷のあと集まった人たちが約500個の灯ろうを川に流し、空襲で亡くなった人たちを追悼し平和を願っていた。
熊谷空襲について語る活動をしている米田主美さん(78)。誕生日は昭和20年8月14日、熊谷空襲の日。終戦の前夜に行われた熊谷空襲。当時の市街地の3分の2が焼失し、266人が死亡した。終戦前、最後の空襲のひとつ。米田さんはその8月14日に母親利起子さんの疎開先の埼玉県秩父市で生まれた。熊谷市の実家は空襲で全焼、父の主登さんは陸軍の航空士官で米田さんが生まれる5ヶ月前に戦死。母親は熊谷市の焼け跡で懸命に幼子を育てた。米田さんが空襲について語るようになったのは定年退職したあと。趣味で詩を書き始め自分の生い立ちに向き合ううち、心の奥底の思いを伝えたいと思うようになった。戦時中のことは直接知らない米田さんだが、母親から聞いた父親の話などを元に戦争と平和を考える作品を生み出してきた。米田さんは8年前に市民の会を立ち上げ、熊谷空襲を伝える活動に取り組んでいる。今も残る空襲の傷痕や慰霊碑をめぐり、戦争を繰り返してはいけないと訴えている。戦跡をたどるツアーでは顔の部分に焼けた痕が残る弘法大師像や幹に焦げた痕が残るけやきの大木などを案内する。空襲のことを伝える米田さんの思いを受け継ごうという若者も現れている。この日、開かれたシンポジウムには地元出身の大学生が参加。戦跡ツアーに参加するなどして米田さんから空襲を学んできた。今度は大学生が伝える側になって、空襲について次の世代に語り継ごうとしている。今年の8月14日。米田米田さんは「78年間、日本が平和が続いたから私も78年目の誕生日を迎えられるどうしても伝えなくちゃいけないという気持ちがある」などコメントしている。
関東の気象情報を伝えた。
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