- 出演者
- 伊藤雄彦 坂下恵理 塩崎実央
オープニング映像。
福島・喜多方の磐越西線・一ノ戸川橋梁が映し出された。一ノ戸川橋梁は、有名な鉄橋だという。産業遺産にもなっているとのこと。きょう~あすは広く晴れと伝えられた。
群馬県邑楽町でのちに町長を務めた男性が太平洋戦争の末期の空襲を受けた時の様子や、戦後の復興に向かう思いなどを3年間つづった日記が見つかった。日記は、終戦前から今の群馬県邑楽町に住み、のちに町長を務めた相場定利さんが自宅に保管していたもので、息子の一夫さんが見つけた。昭和20年1月から昭和22年12月までの3年間、ほぼ毎日つづられている。
岐阜県各務原市の特産「各務原にんじん」の収穫が始まった。各務原にんじんは、鮮やかなオレンジ色が特徴で、あわせて49の農家が約50ヘクタールの畑で栽培している。春と冬の二期作という全国的にも珍しい方法で生産されているのも特徴で、きょうから春の収穫が各務原市内で始まった。地元のJAによるとことしは、2月の天候不良の影響で去年より若干出荷量が減るものの、6月下旬までに約2200トンの収穫が見込まれているという。各務原にんじんは今月13日から出荷されるとのこと。
石川・珠洲市はこれまで被災した地域の人たちに弁当を無償で提供していたが、梅雨を前に食中毒のリスクが高まることなどから、避難所で生活する人以外については弁当の提供を取りやめることになった。珠洲市は避難所で生活する人や自宅が損壊して食事を作れない人などに夕食の弁当を無償で提供していて現在は2000人ほどがこのサービスを利用している。市内の「健康増進センター」の調理室では、きょうも委託を受けた業者の職員たちが盛り付けていた。
大規模な災害に備えて、移動が可能なコンテナ型の宿泊施設を避難所などとして活用する協定を滑川市と施設の運営会社などが結んだ。滑川市役所で行われた協定の締結式には、水野達夫市長とコンテナ型の宿泊施設を運営する会社の岡村健史社長などが出席し、協定書にサインした。コンテナには、ベッドやユニットバス、冷蔵庫などが備え付けられていてふだんは全国各地でビジネスホテルとして使われているが、大規模な災害時には車で被災地にけん引し避難所などとして活用することが期待されている。コロナ禍の際には医療従事者の宿泊や患者の滞在にも使われたという。今回の協定によって、整備中のものも含めて全国80か所あまりでホテルとして運用されているコンテナが災害時には優先的に滑川市に提供されるという。能登半島地震を受けてこうしたコンテナ型の宿泊施設への注目が高まっていて、この運営会社では上市町や黒部市とも協定を締結しこのうち黒部市では道の駅の近くでホテルとしての運用が始まっている。
氷見市の小学生が地元特産のイネ科の植物、「マコモタケ」の植え付けを体験した。マコモタケは茎の根元の部分が食用になるイネ科の植物で天ぷらや炒め物の食材として知られている。氷見市では地元の農家などが生産していて、きょうは海峰小学校の3年生11人が校舎の近くにある田んぼで苗の植え付けを体験した。こどもたちは生産農家やJAの職員から苗2本を1束にして植えることなどを教わったあと約1メートルの間隔で苗を植えていった。
原子力発電で出るいわゆる「核のごみ」の処分地選定に向けた第一段階にあたる「文献調査」を巡り玄海町議会であす、全員協議会が開かれることがわかり、今月中に受け入れについての考えを明らかにするとしている玄海町の脇山町長が、この場で判断を示すのかが注目される。処分地の選定は3段階で行われるが、佐賀県玄海町では第1段階にあたる「文献調査」をめぐって先月、調査の受け入れを求める請願が町議会で採択され、今月には国が調査の実施を玄海町に申し入れていた。脇山町長は”今月中に受け入れるかどうか判断示す”としているが、議会ではあす町長が参加して全員協議会が開かれることがわかった。脇山町長は自らの判断についてまずは議会に説明する考えで、あすの全員協議会で判断を示すかが注目される。玄海町が調査を受け入れれば、全国では北海道の2町村に続き3例目、原発立地自治体としては初めてとなる。
ことし10月に開幕する「国スポ全障スポ」に向けて機運を高めようと佐賀市のJR佐賀駅には大会に込めるメッセージや競技の絵文字などをあしらった「ラッピング広告」が設置された。この取り組みは開幕まで残り5か月を切った「国スポ 全障スポ」を盛り上げようと、県の大会実行委員会がJR九州と企画したもので、佐賀駅北口の防風スクリーンには幅30メートル・高さ2メートルの大きさの「ラッピング広告」が先月末にお目見えした。実行委員会ではラッピング広告を今後、佐賀駅の南口にも設置するほか駅構内や佐賀空港などでも大会に関する装飾を施し「SAGA2024」への機運を高めることにしている。
島根県出雲市にあるかつての豪農が建てた屋敷で、手作りの雑貨などを展示販売するイベントがきょうから始まった。このイベントはより多くの人に手作りの雑貨などを見てもらえる機会をつくろうと、県内の工房などによる「しまねクラフトフェア事務局」が毎年開いているもので、今回の会場になった出雲市斐川町にある明治時代に建てられた「原鹿の旧豪農屋敷」には、40店ほどが出店している。イベントは今月12日まで。
広島局から。国道沿いで”笑い””泣き” サルの看板 どんな意味?看板があるのは国道沿い。この日は泣いた顔をしたサル。泣き顔の理由は?看板のあるビルのオーナーの松本さんによると「前日の広島県の交通死亡事故」を表しているという。松本さんが手作りした看板の表情は3種類。前日に交通死亡事故がなければ笑った顔、亡くなった人がいた場合は泣いた顔、未成年・70歳以上が死亡した場合は怒った顔になる。亡くなった人がいたかどうかは毎朝県警察本部へ問い合わせている。看板の取り替え作業は松本さん1人で行っている。看板を設置したのは20年前、松本さんが小学校のPTAに参加し子どもが巻き込まれる事故の多さに胸を痛めたことがきかっけ。自社ビルの看板で交通安全を呼びかけることを思いついた。松本さんはサルにした理由はその年が申年だったからなどと話した。松本さんはカレンダーにも記録を残してきた。始めたのは2004年。県内の交通事故による死者はピーク時からは減っているものの無くなることはない。松本さんは1件でも減ることを願って今後も看板で交通安全を呼びかけていくつもりだという。
高知市の初月小学校で行われた今日の授業には伝統野菜の復活に携わってきた農家の熊澤秀治さんが講師を務め、およそ110人の児童が参加した。「初月(みかづき)ナス」は昭和30年代まで県内各地で栽培されたが、その後生産が途絶え絶滅が危惧されていた。熊澤さんは別の伝統野菜を調べる中で「初月ナス」の存在を知り、農産物の種子を保存している遺伝子の銀行「ジーンバンク」から種を取り寄せ、この学校の児童とともに復活させたことを説明した。児童たちは来週この学校の畑に「初月ナス」の苗を植え収穫までの作業を学ぶことになっている。
奈半利町では児童が鮎の稚魚を放流。放流は来月1日のアユ漁解禁を前に奈半利川淡水漁業協同組合が毎年行っていて、今年も地元の小学3年生の児童11人が参加した。子どもたちは体長10センチほどのアユの稚魚が入ったバケツを受け取ると「大きくなってね」「元気でね」などと声をかけながら放流した。きょう放流された稚魚はおよそ9000匹で川の中で元気よく泳いでいた。
災害時は男女でニーズや影響に違いが出やすいとされ、支援や防災に女性の視点を取り入れる重要性が指摘されている。しかし、内閣府の調査ではおととし12月末の調査時点で徳島県内の24市町村の内、防災や危機管理の担当部局に女性職員がいない自治体が半数を超える13市町にのぼった。こうした中、吉野川市では昨年度初めて女性を配置、先月には有志の女性職員による防災チームを発足させた。メンバーは20代から50代の9人で今後はイベントで啓発活動を行う他、市の地域防災計画の改訂にも参加するという。こうした動きは自治体以外にも広まりこれまで女性団員がいなかった板野町の消防団が今月、女性だけで作る女性消防団を結成した。メンバー16人は町の備蓄倉庫に生理用品など十分か点検をしたり、災害時には女性や子どもが安心できる避難所の運営などにあたることにしている。
なると金時はほくほくとした食感と甘味が特徴で徳島県が年間1万8000トン余を出荷する特産品。この内およそ3割を生産する最大の産地、鳴門市里浦町でこの時期苗の植え付けがピークを迎えている。坂田哲也さんが2.4ヘクタールの畑でなると金時を栽培していて今朝も家族と一緒に30センチほどの苗を一つ一つ手作業で植え付け風で傷まないように紙のシートをかぶせていた。地元のJAによるとここ数年肥料や輸送費などが値上がりしたため、農家のコストは2割ほど高くなっているが、価格に転嫁できず経営を圧迫しているという。なると金時の苗の植え付けは今月下旬まで続き、7月から収穫が始まる。
NHKのニュースサイトから特集記事を紹介。国宝級の絵が79年ぶりに日本に戻ってきた。沖縄戦の混乱で失われていた琉球王国時代の王の肖像画・御後絵(おごえ)。この絵は戦前首里城の近くにある旧王家の邸宅に保管されていた。しかし1945年アメリカ軍が沖縄本島に上陸し、激しい戦闘が始まった。前平さんは絵などの宝物を戦渦から守るため敷地内に隠したが、休戦後戻った時には失われていたという。宝を取り戻したいと前平さんは執念の捜索を続けた。宝物の隠し場所などを記した捜索願の書面をアメリカ側に提出した。2000年には沖縄県の担当者とともに、FBIなどを訪れて協力を要請した。その活動が実を結んで御後絵を含む13点はFBIの盗難美術品リストに登録された。前平さんが2015年に亡くなって8年後の去年、事態が急展開した。退役軍人の家族から連絡が入り、絵を持ち帰ったという手紙が発見されたが、どういった経緯かは不明。今回の御後絵など文化財の返還は地上戦で歴史的な資料の多くが焼失した沖縄にとって、たどれなかった歴史をたどる大きな手がかりになる可能性がある。
原発事故による避難指示が解除された福島・大熊町の特定復興再生拠点区域で来年度の営農再開を見据えた田植えが行われた。大熊町は原発事故による帰還困難区域のうち、町全体の面積のおよそ10%が先行して除染などを行う特定復興再生拠点区域に指定され、2年前に避難指示が解除された。特定復興再生拠点区域では2020年からコメの試験栽培が始まっていて、きょうはこの内の熊地区の田んぼで田植えが行われた。およそ20アールの田んぼには町の職員や農業委員会の委員らおよそ20人が集まり、コシヒカリの苗を手作業で植えていった。町によるとこの地区で収穫されたコメからはこれまで国の基準を上回る放射性物質は検出されていない。栽培されたコメは秋に収穫された後、基準値以内であれば町内のイベントで食べることができるという。大熊町では来年度から町内の特定復興再生拠点区域で営農を再開する予定で、最大70ヘクタールの田んぼで稲作が行われる見込み。
あす5月10日は数字のごろ合わせで「黒糖の日」とされている。これを前に黒糖の魅力をPRする催しを県が石垣市で開いた。石垣港の離島ターミナルには県の関係者などが集まり、沖縄県八重山農林水産振興センターの森英勇所長は「黒糖は昔から多くの県民に親しまれてきた。健康的な食材としても注目されているのでぜひ味わってほしい」と呼びかけた。そして西表島や小浜島など4つの島で作られた黒糖やリーフレットなどが観光客に配られた。