琉球王国は使節団を江戸幕府に送っていて、物珍しさから使節団の情報が記された冊子が飛ぶように売れたという。1609年、薩摩藩が琉球王国に侵攻し、琉球は薩摩を通じて幕府に恭順の意を示した。ただ、中国とは君臣関係にあり、江戸幕府にも従っていると露呈すると外交問題に発展しかねなかった。中国の使節団が来日した時、着物、お金や焼き物など日本のものを隠匿するよう士族、庶民に厳命されていた。墓は土に埋め、使節団が帰った後、掘り返していたという。
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