立憲・寺田氏の質問。8月のいわゆる会議のことで、今までの政倫審で意見が食い違う部分があったことを指摘。下村氏は、この会議では還付継続するかという話が中心ではなく、安倍会長が亡くなった後の派閥の運営の仕方・葬儀での派閥の対応等が中心で、還付継続を決めたということは全く無いという。寺田氏は、下村氏の年始の会見で収支報告書で合法的な形で出す案が示されたが、一方で世耕氏が上乗せの案は出ていないと否定していると指摘。下村氏は、個人のパーティーで派閥が協力をするという意味で上乗せという言い方をしたという。
寺田氏は世耕氏の政倫審を聞いて、重要なポストを務めていたにも関わらず全額還付の方針を参院派閥会長を通さずに決めることができるのか、継続できるのか疑問に感じたという。下村氏は、選挙時にノルマがないということについては知らないという。そもそも還付が不記載であったことを知ったのは今年の清和会の総会の時に幹部から話があって知ったため、参議院のことについては承知してないという。寺田氏は、なぜ安倍会長が決めた還付を止めるという判断が覆ったかについて、松本事務局長が決めたというのはありえないかと確認。下村氏は、自身がいる場所で決めたということはないとし、いつ誰がどんな形で決めたかはわからないなどとした。寺田氏は質問するにあたって8月の会合周辺の時系列を調べ文藝春秋のドキュメントで、安倍氏が亡くなられてお通夜の日にいわゆる5人衆が赤坂の料亭に集まり会合し、その場に塩谷さんが招かれ下村氏は招かれていないという。8月の月刊誌・正論の森喜朗氏の発言で5人衆のことを選び、下村氏は排除しようという話を出している。その後、朝日の報道で森・岸田らの会食で要望し5人の徴用が決まったなどと述べた。森会長は安倍さんが亡くなられたあと、人事のみならず派閥運営に対して影響力を持っていたのではと問うと、下村氏は、関わりがないため承知してないとした。
寺田氏はいつから仕組みが始まったかについて、1996年までは還付はなく2003年からは存在していたと塩谷氏や萩生田氏が話しているなどと指摘。1996年の派閥会長は三塚博で、1999年の法改正時は森喜朗になるという。塩谷氏や萩生田氏の発言を照らし合わせると還付の仕組みが始まったのが状況的に明らかになってるとし、いつから始まったと感じたかと聞かれた下村氏は、少なくとも2018年まで還付を受けていなかったため知らなかったとし、知ったのは2022年4月のためいつから始まったかはわからないとした。
寺田氏は世耕氏の政倫審を聞いて、重要なポストを務めていたにも関わらず全額還付の方針を参院派閥会長を通さずに決めることができるのか、継続できるのか疑問に感じたという。下村氏は、選挙時にノルマがないということについては知らないという。そもそも還付が不記載であったことを知ったのは今年の清和会の総会の時に幹部から話があって知ったため、参議院のことについては承知してないという。寺田氏は、なぜ安倍会長が決めた還付を止めるという判断が覆ったかについて、松本事務局長が決めたというのはありえないかと確認。下村氏は、自身がいる場所で決めたということはないとし、いつ誰がどんな形で決めたかはわからないなどとした。寺田氏は質問するにあたって8月の会合周辺の時系列を調べ文藝春秋のドキュメントで、安倍氏が亡くなられてお通夜の日にいわゆる5人衆が赤坂の料亭に集まり会合し、その場に塩谷さんが招かれ下村氏は招かれていないという。8月の月刊誌・正論の森喜朗氏の発言で5人衆のことを選び、下村氏は排除しようという話を出している。その後、朝日の報道で森・岸田らの会食で要望し5人の徴用が決まったなどと述べた。森会長は安倍さんが亡くなられたあと、人事のみならず派閥運営に対して影響力を持っていたのではと問うと、下村氏は、関わりがないため承知してないとした。
寺田氏はいつから仕組みが始まったかについて、1996年までは還付はなく2003年からは存在していたと塩谷氏や萩生田氏が話しているなどと指摘。1996年の派閥会長は三塚博で、1999年の法改正時は森喜朗になるという。塩谷氏や萩生田氏の発言を照らし合わせると還付の仕組みが始まったのが状況的に明らかになってるとし、いつから始まったと感じたかと聞かれた下村氏は、少なくとも2018年まで還付を受けていなかったため知らなかったとし、知ったのは2022年4月のためいつから始まったかはわからないとした。
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