「水戸黄門の『黄門』は『中納言』という官職」について、静岡市歴史博物館 館長の大石学さんが解説。水戸黄門の正式名は徳川光圀。徳川家康の孫にあたる人物。1690年に水戸藩の藩主を引退し、隠居する際に朝廷から中納言の官職を授かった。中納言という位は現在でいうと大臣。水戸権中納言というのが日本風の官職名。しかし、日本は昔から官職名を中国風に呼び替えることがあり、水戸黄門と呼ばれるようになった。水戸黄門は7人いた。水戸黄門=徳川光圀として有名なのは、明治時代に水戸黄門(徳川光圀)の読み物や講談がヒットしたため。