投稿をくださったのは安部裕子さん。祖父は”田舎のレオナルド・ダビンチ”と呼ばれていたという。祖父である塩谷錠太は明治16年に広島県大朝村の小田家で生まれていた。まずは生まれ故郷で700年の歴史を持つという枝宮八幡神社を訪ねた。そこには宮司の森脇健児さんがいた。錠太の名前を出すと16歳のときに作った絵馬を見せてくれた。そして大人になった錠太の知人・渡辺勇さんから話を聞くことに。錠太は当時国産化が進んでいた自転車の研究を始めていたという。塩谷家の養子となった錠太は広島市内で塩谷製作所を創設し、豊かな発想で様々な発明を手掛けていく。そんな錠太の記録が発明協会に残されていた。そこには「火災報知爆弾」という火災報知器の記録があった。錠太が目指していた発明は人を助けるものだった。この頃の錠太が危惧していたのは針の製造だった。明治に広島は針の一大生産地となり海外にも輸出されるほどだったが第一次世界大戦が終わると、ヨーロッパの針が市場を席巻し日本にも押し寄せてきた。そこで錠太は新たな針の製造機を発明しようと立ち上がった。そして昭和4年、3つの工程を一連でできる針の画期的な製造機が完成した。まず針金から2本の形を作り、針の穴を開け最後は2つに切り離すというもの。錠太の針の製造機は今も現役で使われていて「SHIOTANI」の文字が刻まれていた。現在、広島県で製造される縫い針やまち針は国内シェアの9割を誇っている。
住所: 東京都港区虎ノ門2-9-14
URL: http://www.jiii.or.jp
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