高知・徳島・愛媛3県境付近の標高490mの山奥にたった1人で暮らす小松フキ子さん(91)を訪ねた。ドローンを使って山の険しさを紹介する映像を撮影していると、フキ子さんはドローンに興味津々だった。家の中には66歳で他界した息子の大きな祭壇があった。そのままにしているという部屋を見せてくれたフキ子さんの涙の理由を探るべく生活に密着した。取材スタッフと案内してくれた中西さんにをご飯をごちそうしてくれた。メニューはこの辺りの郷土料理でミョウガの葉っぱで包んだ「半夏だんご」、「不老になる」という言い伝えから命名されたこの辺りでしか作られていないインゲン豆の一種「銀不老豆」を混ぜた特製の寿司、ミョウガと赤玉ねぎの甘酢和え、手羽先の唐揚げだった。
別の日のフキ子さんは午前4時30分から料理。大豆の香り飯を作り、前日に仕込んでいた70個の半夏だんご・銀不老逗子・切り干し大根の卵炒め・ポテトサラダをパック詰めした。道の駅やショッピングセンターで販売するという。週に3回自ら車を運転して惣菜を卸している。
フキ子さんは昭和9年に5人きょうだいの次女として生まれた。23歳で結婚、翌年に長男・昭造さんが生まれた。夫は土木仕事、フキ子さんは事務員として働き、何不自由のない生活を送っていた。55歳で定年退職するとお惣菜屋さんを始めた。夫・幹佳さんは76歳で天国へ。昭造さんは高校進学後は親元を離れて生活。料理人となり、高知市内で割烹料理を味わえる「花八川」を開いたが、店を弟子に引き継いで56歳で実家に戻った。調理の仕方で喧嘩することもあったが、39年ぶりの親子での生活は格別だった。それから9年後に昭造さんは直腸がんになり、昨年7月に66歳で亡くなった。昭造さんが最後に遺した手紙を紹介した。フキ子さんは昭造さんと二人三脚で作り上げた郷土料理をきょうも作り続けている。
別の日のフキ子さんは午前4時30分から料理。大豆の香り飯を作り、前日に仕込んでいた70個の半夏だんご・銀不老逗子・切り干し大根の卵炒め・ポテトサラダをパック詰めした。道の駅やショッピングセンターで販売するという。週に3回自ら車を運転して惣菜を卸している。
フキ子さんは昭和9年に5人きょうだいの次女として生まれた。23歳で結婚、翌年に長男・昭造さんが生まれた。夫は土木仕事、フキ子さんは事務員として働き、何不自由のない生活を送っていた。55歳で定年退職するとお惣菜屋さんを始めた。夫・幹佳さんは76歳で天国へ。昭造さんは高校進学後は親元を離れて生活。料理人となり、高知市内で割烹料理を味わえる「花八川」を開いたが、店を弟子に引き継いで56歳で実家に戻った。調理の仕方で喧嘩することもあったが、39年ぶりの親子での生活は格別だった。それから9年後に昭造さんは直腸がんになり、昨年7月に66歳で亡くなった。昭造さんが最後に遺した手紙を紹介した。フキ子さんは昭造さんと二人三脚で作り上げた郷土料理をきょうも作り続けている。
