群馬県邑楽町で太平洋戦争の末期の空襲の様子や戦後の復興に向かう思いなどを3年間つづった日記が見つかった。日記は終戦前から今の群馬県邑楽町に住み後に町長を務めた相場定利が自宅に保管していたもので息子の一夫が見つけた。昭和20年2月10日、太田市を中心に160人余りが犠牲になった米軍の空襲については「敵機約90機が来襲し焼い弾と爆弾を投下すると記す一方でB29が墜落したことについては手をたたいて萬歳を叫ぶ」とつづっている。また終戦の日、ラジオで玉音放送を聞いたときの心境を日本民族の発展は永遠に終止符を打った。空虚な気持ちだなどと記していた。