金山あさ奈さんはまもなく結婚13年を迎える。夫の文哉さんが見せてくれたのは結婚記念日に毎年買っているという置物。今年も新たなコレクションを選びにやってきた。北里大学病院に搬送されてきたあさ奈さん。出産予定日まではあと2か月だった。脳に出血が見つかったが、手術には赤ちゃんに大きなリスクがあるため、帝王切開で赤ちゃんを取り出した後に脳出血を対応することにした。赤ちゃんは1794gの男の子。小さな命は新生児集中治療室に運ばれた。脳の出血を取り除くには頭蓋骨に穴を開けて直接吸引するしかない。手術は終了したが、様々な後遺症が予測された。夫・文哉さんにとっては嵐のような一日だった。
当時は結婚9年目、2人の男の子に恵まれ二男の七五三を祝ったばかりだった。手術の翌日、あさ奈さんはCT検査を受けた。再出血が見つかり脳外科医が呼ばれる。新たな出血が認められた。原因を探すには脳の血管を調べる。原因は動脈瘤の破裂によるものだった。すぐにもう一度手術をしなければならない。文哉さんはただ祈ることしかできない。
あさ奈さんは1979年生まれ、大学卒業後に自動車整備の職業訓練校に入学。そこで文哉さんと出会った。ドライブが趣味だった2人は惹かれあい、結婚。32歳で長男、その後次男が誕生した。脳出血で倒れたのは3人目の誕生に胸をふくらませていた矢先だった。2度目の手術が終わり、救急搬送から3日、回復のかすかな兆しが見えた。あさ奈さんが我が子と対面できるのはまだ先。文哉さんはできるだけ赤ちゃんに寄り添っていた。お母さんの初乳は免疫力を高めるという。文哉さんはあさ奈さんの母乳を赤ちゃんにあげた。文哉さんの母や実の母もあさ奈さんを見舞い続けた。最も懸念されたのが失語症だった。まだ赤ちゃんの名前も決めれていなかったが、文哉さんは煌泰と決めた。緊急搬送から5日目、赤ちゃんの名前をママにも報告した。あさ奈さんは感情を表現できるようになってきた。救急搬送から10日、うんと声が出た。まだ見ぬ我が子のために母乳を絞る。
当時は結婚9年目、2人の男の子に恵まれ二男の七五三を祝ったばかりだった。手術の翌日、あさ奈さんはCT検査を受けた。再出血が見つかり脳外科医が呼ばれる。新たな出血が認められた。原因を探すには脳の血管を調べる。原因は動脈瘤の破裂によるものだった。すぐにもう一度手術をしなければならない。文哉さんはただ祈ることしかできない。
あさ奈さんは1979年生まれ、大学卒業後に自動車整備の職業訓練校に入学。そこで文哉さんと出会った。ドライブが趣味だった2人は惹かれあい、結婚。32歳で長男、その後次男が誕生した。脳出血で倒れたのは3人目の誕生に胸をふくらませていた矢先だった。2度目の手術が終わり、救急搬送から3日、回復のかすかな兆しが見えた。あさ奈さんが我が子と対面できるのはまだ先。文哉さんはできるだけ赤ちゃんに寄り添っていた。お母さんの初乳は免疫力を高めるという。文哉さんはあさ奈さんの母乳を赤ちゃんにあげた。文哉さんの母や実の母もあさ奈さんを見舞い続けた。最も懸念されたのが失語症だった。まだ赤ちゃんの名前も決めれていなかったが、文哉さんは煌泰と決めた。緊急搬送から5日目、赤ちゃんの名前をママにも報告した。あさ奈さんは感情を表現できるようになってきた。救急搬送から10日、うんと声が出た。まだ見ぬ我が子のために母乳を絞る。