平成最悪の水害ともいわれる西日本豪雨から今月で6年となる。川の氾濫や堤防の決壊などが起き、死者・行方不明者は200人を超えた。その後、現場では「逃げ遅れゼロ」にするための計画の策定を始めたが取材を進めると難しい現状もみえてきた。岡山県倉敷市真備町では、6年前に堤防が決壊するなどして浸水し、51人が犠牲になった。その8割以上が高齢者など避難をする際に支援が必要な人たちだった。福祉事業所代表の津田由紀子さんは、訪問介護やデイサービスなど地域の高齢者29人にサービスを提供している。5年ほど前から利用者一人一人に合わせた非難の計画”個別非難計画”の策定をしている。個別避難計画とは、自力で避難が難しい人たちが、誰とどのように避難するのかなど定めておくものである。国は、西日本豪雨の教訓などから3年前に計画の策定を努力義務として、自治体が主体となって作成するよう呼びかけた。津田代表たちは6年前の西日本豪雨がきっかけで、個別避難計画を作り始めた。1人暮らしの80代の利用者が、自宅で犠牲になった。「当時近所の人たちに避難の手助けをお願いできていれば、助けることができたのではないか」と今も後悔している。西日本豪雨の教訓などから、国は3年前、計画の策定を努力義務とし、自治体が主体となって作成するよう呼びかけた。発災当時、岡山・倉敷市真備町を取材。その中で出会ったのが、個別避難計画の策定に取り組んでいた福祉事業所・津田由起子代表だった。近所の人たちと話し合いを重ね、一人一人の状態に合った避難計画を一刻も早く作成しようとしていた。しかし、今回取材をすると、計画を策定できたのは、利用者29人中13人。半数以下にとどまっていた。日々、訪問介護などを行う中で、避難を支援してもらう近所の人たちを見つけ、協力を仰ぐのは難しいという。津田代表は「知らない人にいきなり飛び込みで行って“個別避難計画を作りたい”ということもすごく勇気がいる」と語った。
西日本豪雨を経験したからこそ、協力を呼びかけることに抵抗を感じている人もいる。民生委員の前田久美子さんは、この地域で15年間、お年寄りや障害のある人たちの見守りを行い、災害時の避難の方法などを考えてきた。しかし、 6年前の西日本豪雨では、担当する地区に住む車いす生活を送っていた80代の男性が自宅で犠牲になった。個別避難計画への協力を呼びかけ、支援をする人を決めておくことが、その人たちへの大きな負担になってしまうのではないかとまだ取り組めずにいるという。国は、計画に基づく”避難の支援が実施されなくても法的な責任を負わせるものではない”としている。5年前から個別避難計画の策定を続ける津田由起子さんは、課題はあるものの今後も取り組みを続けていきたいと考えている。
西日本豪雨を経験したからこそ、協力を呼びかけることに抵抗を感じている人もいる。民生委員の前田久美子さんは、この地域で15年間、お年寄りや障害のある人たちの見守りを行い、災害時の避難の方法などを考えてきた。しかし、 6年前の西日本豪雨では、担当する地区に住む車いす生活を送っていた80代の男性が自宅で犠牲になった。個別避難計画への協力を呼びかけ、支援をする人を決めておくことが、その人たちへの大きな負担になってしまうのではないかとまだ取り組めずにいるという。国は、計画に基づく”避難の支援が実施されなくても法的な責任を負わせるものではない”としている。5年前から個別避難計画の策定を続ける津田由起子さんは、課題はあるものの今後も取り組みを続けていきたいと考えている。