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「公久」 のテレビ露出情報

約150年が過ぎた明治初期にある夢を抱いて上京したのは石川佳純の高祖父である石川善五郎だった。形見の品は絵で画家を目指していた善五郎が郷を構えたのは浅草にある三筋町で作品の制作に没頭し国の展覧会にも出品。模写した絵などを売り暮らしていたが、明治18年の時に善五郎と妻のトラとの間に次男の晋が生まれ佳純の曽祖父だという。明治39年に晋は21歳で小さな事業を始め缶を製造する町工場を立ち上げていた。晋の五男である石川昇は当時の様子を父から聞いており「のりや茶の缶屋をやっていた、商売は上手く行き注文があった」とコメント。大正6年には晋が同郷の岩谷かなと結婚し、子宝にも恵まれていた。工場は職人を多く抱え豊かな暮らしを手に入れたが大正12年の9月1日に関東大震災が発生。浅草は瓦礫の山となり工場も被災し晋は財産の殆どを失い松江市にいる親族の元に身を寄せたという。晋が悪性のリウマチを患い半身不随になり、石川昇は「病院でもう治りません一生働けませんよと食うや食わずの生活が続いた」などと話している。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年2月23日放送 19:57 - 20:49 NHK総合
ファミリーヒストリー石川佳純
石川佳純は、両親と妹の4人家族。母親の久美さんは国体に3度出場した元卓球の選手で、自宅で卓球教室を開いている。母方の小川家の先祖は黒田官兵衛に仕えていた。黒田官兵衛に格別の忠義を尽くした小川家の武将が、小川与左衛門。1578年に黒田官兵衛は荒木村重に捉えられ存亡の危機に瀕する。離反するものが相次ぐなか、生涯忠義を尽くすと誓った家臣たちがいた。起請文の12人の[…続きを読む]

2024年1月14日放送 16:00 - 17:15 テレビ東京
JA全農Presents ありがとう石川佳純 未来への旅(JA全農Presents ありがとう石川佳純 未来への旅)
卓球の石川佳純が引退。会見では決意の理由を「やりきったと思えたから」などとしていた。卓球選手だった両親のもとに生まれ、小学校6年生で全日本選手権3回戦出場。当時から五輪出場を夢見ており、19歳でロンドン五輪出場。日本卓球界初の銀メダルに。リオ五輪では銅メダル。東京五輪では日本選手団副主将に。銀メダルなど3つを獲得。世界卓球2017では48年ぶりの混合ダブルス[…続きを読む]

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