能登半島地震のあと、2人は店先にあるたこ焼店だったテントの下でお客さんを出迎えていた。ここでご飯を食べたり、暖を取ったり。2人は長年、住民の生活を支えてきたが、あの日の出来事ですべてが変わってしまった。去年1月1日、能登半島地震。2024年元日に石川県を大地震で町は壊滅的な被害に見舞われ、尊い命が奪われた。あの日以来、店を訪れる客は1日数人程度に。従業員も出勤できなくなっていた。本谷一郎さんは倒壊を免れたスーパーの一角にベッドを置き寝泊まりを続けていた。もとやスーパーは、一郎さんの父・本谷庄治さんが約80年前に行商からはじめたという。1970年代には店舗を構えた。一郎さんは海外を放浪し帰国後、理知子さんと恋に落ち、1974年に結婚した。子宝にも恵まれ、元日以外は営業してきた。今は息子の本谷一知さんが店の3代目として社長を務めている。本谷一知さんは妻と子どもを妻の実家に避難させ、自らは店の立て直しに奔走してきた。去年2月17日、電気が復旧した。しかし、冷蔵庫にあったものは全て傷んでしまい、在庫処分。この日、勤務先が廃業するという女性が店にやってきた。震災で人口が減り、廃業を決める店が少なくないという。ただ、一郎さんは店を開け続けると決めている。午前5時すぎ、一郎さんは街に車を出し、住民が戻ってきているかどうか、毎朝確認してるという。地震から1ヶ月半、先の見えない状況に不安と寂しさが募る。そんな中、スーパーに嬉しいお客さんがやってくる。町で長く続く豆腐店が再開を決めたという。町が少しずつ前へと進み始めた。
去年3月3日、山梨・甲斐市の日本航空高校 山梨にもとやスーパーの3代目・本谷一知さん夫婦の姿があった。山梨の系列校で、一知さんの二男・悠樹さんの卒業式が行われた。地震がなければ、春から岐阜県の大学に進学する予定だったが、悠樹さんは経済的な負担を考え大学進学を断念した。そんな悠樹さんは、消防士の勉強をする間、大阪を出ると話す。母の実家を出て、消防士試験の合格を目指す。去年3月25日、地震以来初めて野菜と果物が入荷した。一知さんは軽トラックでの移動販売を再開。近くの仮設住宅にやってきた。住民たちが集まってきた。地震から3カ月、店には豆腐店の豆腐が並んだ。水道が復旧した。去年4月26日、休んでいた従業員も少しずつ復帰してきた。地震以来初、刺し身が店に並んだ。しかし一歩外に出ると町には倒壊した家が。復興までは長い道のり。一郎さんは必要とされる限り店を開け続けたいという。
去年3月3日、山梨・甲斐市の日本航空高校 山梨にもとやスーパーの3代目・本谷一知さん夫婦の姿があった。山梨の系列校で、一知さんの二男・悠樹さんの卒業式が行われた。地震がなければ、春から岐阜県の大学に進学する予定だったが、悠樹さんは経済的な負担を考え大学進学を断念した。そんな悠樹さんは、消防士の勉強をする間、大阪を出ると話す。母の実家を出て、消防士試験の合格を目指す。去年3月25日、地震以来初めて野菜と果物が入荷した。一知さんは軽トラックでの移動販売を再開。近くの仮設住宅にやってきた。住民たちが集まってきた。地震から3カ月、店には豆腐店の豆腐が並んだ。水道が復旧した。去年4月26日、休んでいた従業員も少しずつ復帰してきた。地震以来初、刺し身が店に並んだ。しかし一歩外に出ると町には倒壊した家が。復興までは長い道のり。一郎さんは必要とされる限り店を開け続けたいという。
