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2026年元日、輪島市の被災者の多くは仮設住宅で2度目の正月を迎えた。85歳の田中さん夫妻の家があったのは能登半島北部の大沢町。竹の垣根に囲まれ「間垣の里」と呼ばれている。間垣は冬の間は冷たい風を防ぎ、夏は日陰を作る。人と自然が共生することから国の重要文化的景観に選定されている。夫婦はこの集落で1軒しかない旅館を営んでいた。24年1月1日の地震では集落ごと孤立し、自衛隊が到着したのは1月12日。9月の豪雨で多くの家が流され、1年に二度も孤立した。かつては73世帯139人が暮らしていたが、半分ほどが更地に。
能登半島地震・豪雨で大きな被害を受けた大沢町地区の「田中屋旅館」。経営する夫婦の住まいだった母屋はあちこちが大きく歪んでしまい、全壊と判定され営業再開はおろか住むこともできない状況に。夫婦は毎週仮設住宅からここに通い、復旧を目指している。25年10月、久しぶりに住民らの集まりが開かれた。人数は地震前の1割ほど。奥能登では全ての地区で人口が減少し、多くの集落が存続の危機にある。
能登半島地震・豪雨で大きな被害を受けた大沢町地区の「田中屋旅館」。地区では道路復旧が進んでおらず、奥能登の幹線道路は今も10か所が通行止め。大沢町から市街地につながる道は迂回路として整備された山あいの道だけ。旅館を経営する夫婦は仮設住宅がある市街地から毎日40分かけて通い、復旧を目指している。この日、県外に避難した息子らが久しぶりに帰省。大沢町の家に招き、料理を振る舞った。厨房を使うのは地震以来初。
能登半島地震・豪雨で大きな被害を受けた大沢町地区の「田中屋旅館」。近くの別所谷町にある次男の自宅は倒壊したままで、水も電気も来ていない。集落12世帯は住むことができない「長期避難世帯」に認定されていて、住民らは集団移転を要望している。次男はここでの生活を諦め、娘のいる茨城に家族で移住した。「帰れるものなら帰りたいが、現状は本当に無理」と話す。もともとは輪島塗の職人で、この地を離れることにためらいがあった。
奥能登では地震前と比べ13%以上人口減。いまだ2万人近くが応急仮設住宅に暮らしていて、入居期間は最長3年。その先は未定だが、8割以上の世帯が延長を希望している。大きな被害を受けた大沢町地区の田中裕之さん。地震前はこの街に家族で暮らしていたが、孤立した集落で暮らすのは難しいと考え移住を決断。子どもは学校のあと、仮設住宅近くの児童クラブで過ごしている。通勤通学の利便性から、大沢に戻ることにはためらいがある。
能登半島地震・豪雨で大きな被害を受けた大沢町地区の「田中屋旅館」。25年11月、地震で手つかずだった間垣の補修作業が行われていた。元通りにはならないとわかっていても、旅館を経営する夫婦は復旧を目指してここに通い続けている。
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