石橋家のルーツをたどるために向かったのは福岡県柳川市。4代前、石橋儀三太は現在の柳川市で暮らしていた。柳川古文書館で儀三太の名をみつけた。1兆以上の田畑を所収していて村で3番目の広さだった。明治19年に生まれたのが守造。のちの石橋凌さんの父祖になる。人生は謎だが手がかりがある。戸籍をみると守造の妻・アイは広島県出身。取材を進めると呉市に出た経緯も分かってきた。明治36年、呉市に海軍工場が設置され軍港として発展した。仕事を求め全国から人が集まっていたという。守造が働いていた時期には労働運動が盛り上がりストライキも置きていた。大正4年にのちの父となる久渡が誕生。戸籍によると生まれは神戸市。当時暮らしていた場所の近くには川崎造船所があった。守造は友愛会 尻池支部の幹事を務めていた。労働環境改善のため精力的に活動し、賀川豊彦との同じ壇上に上がっていた。活動に実を結び、川崎重工では日本初の8時間労働制が実施された。その後、上京した。神戸で労働者のため活動していた守造は東京で学生たちを支援していた。
