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「角治郎」 のテレビ露出情報

敬一の五男博さん、敬一は海軍の通信員だったと話した。敬一の任地は鎮海、日露戦争をきっかけに軍港として開け日本人が移り住んでいた。鎮海での敬一の足跡を調べる、戦前の日本家屋も残っていた。休日は日本兵が街に出て過ごしていた。敬一は石田久と出会う、後の雅治の祖母。久のルーツは山口市、父角治郎は石部の材木商の息子、結婚後妻の実家のある山口に移り住み商売していた。久の三女克子さんによると、詩人中原中也と久の弟と同級生だった。久は女学校卒業後、父の仕事の関係で朝鮮半島に渡る。久の甥秀人さん、角治郎がしていた職業は土木建築請負業と話した。その後石田家は仕事の拠点を鎮海に移す。ある日久は敬一と出会うことになる。当時の記録による久の家の住所へ、近所でも美人と評判だった久、敬一は結婚を申し込む。その後日本に戻った2人、柳川で結婚した。昭和の始めになると長崎に移り住む。長崎市内の敬一の姉が嫁いだ家には敬一が手がけた仏壇が残されている。昭和7年、敬一と久の間に次男が生まれた。

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