俳優・高橋英樹さんが20歳のときに見た忘れられない映像は1964年の東京オリンピックで金メダルを取ったバレーボール女子の映像。当時のバレーボール女子日本代表は“東洋の魔女”と呼ばれ、日本スポーツ中継史上最高の視聴率66.8%だった(ビデオリサーチ調べ)。大阪・貝塚市にある「日紡 貝塚工場」に所属していたのが実業団チーム「日紡貝塚」で、昭和30年代半ばから国内最強を誇っていた。選手は朝8時から夕方4時まで勤務し、その後正月を除き1日8時間の練習を行った。昭和34年アジアで初めての五輪が東京で開かれる事が決定。日本の強敵がソ連で、高さなどを前に世界選手権で敗れていた。監督が対抗策として思いついたのが回転レシーブ。転がりながらボールを拾い素早く元の体勢に戻る技で、練習のほとんどをレシーブに費やした。昭和39年に東京五輪が開幕。最前列には女子バレーボール選手が並んだ。バレーボールは6カ国による総当たり戦で、日本はポーランドなどに快勝。日本とソ連はお互いに全勝で10月23日に対戦。回転レシーブなど多彩の攻撃により3-0で勝利した。高橋は「続けるためには努力がどれだけ大切かを教えられた。」などと話した。バレーボール世界ランキングは現在男子2位、女子7位でどちらもパリ五輪出場が決まっている。メダルを取った場合、男子は52年ぶり、女子は12年ぶりとなる。