2004年6月、前年に大打撃を受けた永翁だったが、このいちごに惚れ込んでおり諦めたくはなかった。永翁は炭疽病で打ちひしがれている周りの農家に未来を託せるのはこのいちごしかないと問いた。再び立ち上がった農家たち。ある農家が炭疽菌対策のため空中で育てたらどうかと提案し、福岡県庁が設備投資に費用がかかるこの栽培方法の費用を負担することになった。さらに県は農家から生まれた優れた栽培方法を積極的に聞き取り、栽培の手引きを作製した。これを頼りに新たに栽培する農家が増えていった。そして2004年の秋、あまおうの販売量は増加。1kgあたりの単価は日本一に輝いた。
しかしこれで戦いは終わりではなかった。日本全国でいちごの需要が急速に落ち込みはじめた。大きな原因は長引く不況。海外の安価な農産物の輸入も増え、日本の農業全体が危機的状態になっていた。これに対し福岡県はあまおうを海外に売り出すことにした。輸出促進チームのリーダーに抜擢されたのは境。また県は苗の流出を防ぐため、温床となっていたネットオークションを徹底的に取り締まり、同時に中国と韓国での品種登録を進め無断で栽培されないようあらゆる手を打った。一方境は香港の果物王のフランキー・ウーを福岡に招き売り込みに成功し、香港でのデパートやスーパーでの販売が始まった。販売価格は日本の5倍以上になることもあったが飛ぶように売れた。その後あまおうはアジア各地に進出し、2015年の福岡県の農産物輸出額は20.4億円となった。そして福岡の農家も誇りを取り戻した。
しかしこれで戦いは終わりではなかった。日本全国でいちごの需要が急速に落ち込みはじめた。大きな原因は長引く不況。海外の安価な農産物の輸入も増え、日本の農業全体が危機的状態になっていた。これに対し福岡県はあまおうを海外に売り出すことにした。輸出促進チームのリーダーに抜擢されたのは境。また県は苗の流出を防ぐため、温床となっていたネットオークションを徹底的に取り締まり、同時に中国と韓国での品種登録を進め無断で栽培されないようあらゆる手を打った。一方境は香港の果物王のフランキー・ウーを福岡に招き売り込みに成功し、香港でのデパートやスーパーでの販売が始まった。販売価格は日本の5倍以上になることもあったが飛ぶように売れた。その後あまおうはアジア各地に進出し、2015年の福岡県の農産物輸出額は20.4億円となった。そして福岡の農家も誇りを取り戻した。
住所: 福岡県福岡市博多区東公園7-7
URL: http://www.pref.fukuoka.lg.jp/
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