ブランクーシの空間の鳥は発表当時は大きな物議を醸した。独自にたどり着いた抽象彫刻で美術界から注目されるようになっていたブランクーシ。1926年に、ニューヨークでの個展が決まり、空間の鳥をパリから船便で送った際に積荷をみた税関が待ったをかけ、アートではなくなにかの器具ではと判断された。当時芸術作品は無税だったが、工業製品とみなされ関税が課せれられた。パリでその知らせを聞いたブランクーシは猛然と反発。アメリカ政府を訴える手段にでた。芸術か工業製品か、実際に行われた裁判では被告となった税関は弁護人を立ててブランクーシに反感を抱く芸術家を証言台にたたせ、ブランクーシ側が連れてきた弁護士証言台に立った。過去の判例では彫刻作品の定義は対象物と似ていることだったが、その焦点は対象物と似ているかどうか。芸術とはなにか?を問いかけることになった法廷だったが写術的な表現こそがアートだと多くの人が思い込んでいた。裁判は一年以上も続いた。