2015年世界文化遺産に登録された「軍艦島」を訪れた。正式名称は「端島」。1974年の閉山まで約80年間石炭を採掘しており、世界有数の炭鉱の街として日本の近代化に貢献した。長さ480m 幅160mの小さな島に最盛期は約5300人と世界一の人口密度を誇った。案内の木下さんは元島民。12歳まで暮らしていた。元々は地殻変動で起きた小さな岩礁だったが、埋め立てによって現在の姿に至ると説明した。小学校と中学校は敷地がないため、上に伸ばし7階建ての鉄筋高層になったという。やぐらの跡を案内。当時の炭鉱夫の仕事ぶりなどを説明した。炭鉱まで降りるエレベーターのスピードは東京スカイツリーのものと変わらないという。事故もあり炭鉱での死者数は215名とのこと。島には約600名収容が可能な当時最先端の映画館「昭和館」があった。長崎の封切館だったので長崎から海を渡って映画を観る人も多かった。映画がないときは音楽のイベントなどが行われ、淡谷のり子のコンサートの際に、緞帳引きだった木下さんの父親が終了前に緞帳を引いてしまい怒られたというエピソードを披露した。
住所: 長崎県長崎市