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「夏の甲子園」 のテレビ露出情報

プロ野球界でSPECIALONEの輝きを放つ特別な世代、松坂世代。世代の冠にもなっている松坂大輔を筆頭に投手では杉内俊哉に新垣渚、さらには藤川球児。打者では村田修一に森本稀哲などキラ星のごときスター選手たちが集結する世代。その中で最後まで現役を続けた選手こそが和田毅43歳。スペシャルワンの世代においてもオンリーワンの存在。まっすぐを貫き通した22年のプロ野球人生。そんな男の奇跡を戦友たちの証言とともに紐解いていく。1998年、松坂大輔が伝説となったあの夏。和田毅も浜田高校のエースとして甲子園の舞台に立っていた。ストレートの球速は当時120キロ台。それでも和田のボールには不思議な力があるとホームランを放った森本稀哲は感じていた。その後早稲田大学に進学すると投球フォームに磨きをかけ、ストレートの球速は140キロ台までアップ。25年ぶりに六大学野球の奪三振記録を更新する。そして2002年ダイエーホークスに入団。まっすぐで押すピッチングスタイルで1年目からローテの軸として大活躍。同じホークスに所属していた同世代の杉内俊哉が当時の和田について振り返る。プロで再戦を迎えた森本は高校時代とはまるで違う和田のストレートに驚きを隠せなかった。
和田毅の経歴を振り返る。プロ入り後、代名詞となったのは球速以上に速く見えるストレート。その武器を引っさげプロ1年目は14勝を上げ新人王に輝いた。さらに日本シリーズでは胴上げ投手にもなった和田。そんな快進撃の要因を明かしてくれたのはホークスに同期入団した新垣渚。その後日の丸を背負う存在へと成長を遂げるとアテネオリンピックでは3位決定戦で先発し5回2失点の好投。銅メダル獲得に大きく貢献した。ますます覚醒モードに入る和田のピッチング。2010年には17勝を上げ最多勝のタイトルを獲得する。そんな和田の活躍はピッチャーのみならず同世代のバッターにも大きな刺激を与えていた。そして2012年からは米国へと戦いの場を移す。しかしいきなり訪れた試練。肘の手術の影響などもあり、満足いく結果を残すことはできなかったが、苦境を超えた人間はさらに強くなる。日本帰国1年目で完全復活を遂げた和田は15勝をマークし再び最多勝に帰り咲く。その後グラウンドを去る戦友たち。年齢に抗うように自分を追い込み続ける和田。そして2年前。なんと41歳にして自己最速の149キロをマーク。あの夏130キロにも満たない真っ直ぐを放っていた男はひたむきに努力を重ね最強世代で最も息の長い選手となった。和田毅43歳。まっすぐに戦い抜いた稀代の大投手。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月10日放送 23:54 - 0:20 テレビ東京
スポーツ リアライブ〜SPORTS Real&Live〜あの時、実は。
史上2校目となる甲子園春夏連覇を目指す横浜高校。神奈川大会では3試合連続の逆転勝利。その舞台裏に迫る。

2025年7月28日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(スポーツニュース)
春夏連覇を狙う横浜高校も甲子園の出場を決めた。今回の神奈川大会を見ると、準々決勝は4点差から逆転。準決勝、決勝は3点差をひっくり返しての勝利と勝負強さを見せた。横浜高校というと、春夏連覇を達成した1998年にも甲子園で歴史に残る大逆転劇があった。明徳義塾の馬淵史郎監督と松坂大輔がその激闘の裏側を語った。
明徳義塾の馬淵史郎監督(69)は1992年の夏の甲子[…続きを読む]

2024年11月24日放送 0:58 - 1:28 TBS
バース・デイアスリートX歳の時、何してた?
松坂大輔は1998年の夏の甲子園の決勝でノーヒットノーランを達成。その30歳はMLB1年目で15勝をマーク。その年のワールドシリーズでは日本人初の勝利投手に。しかしその後勝利数は一桁台に。さらに右肘の靭帯を断裂するなどし、再起をかけたトミージョン手術を行ったがその復帰後に初勝利。MLB通算56勝した。

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