紀州藩初代藩主、徳川頼宣は紀州東照宮を築き、専用の狩り場をつくるほど武芸にのめり込んでいたという。初陣は大阪の陣で、頼宣は14歳。先陣をつとめようと血気盛んだったが、与えられた任務は後方支援だった。泰平の世となると、頼宣は軍備増強に努めるように。中国では明が清に滅ぼされ、残存勢力が戦いを繰り広げていた。明から援軍の要請があるも、家光は黙殺を続けた。家光に去来したのは豊臣政権の崩壊につながるきっかけとなった朝鮮出兵で、野村玄氏は「渡海して戦争する実力は日本にはないと冷静に分かっていた」と話す。だが、武功を立てて家臣に取り立ててもらおうとする牢人たちは多く、紀州の統治失敗は戦乱の拡大に繋がりかねなかった。将軍家を支えるべく、頼宣は軍備増強を図ったのかもしれないという。
住所: 和歌山県和歌山市和歌浦西2-1-20