1829年、酒蔵を営む家系に生まれた清水卯三郎は持ち前の好奇心で世界へ飛び出し、その功績は形を変えて現在でも受け継がれている。和菓子店では地元の偉人に親しみを感じてもらいたいと清水卯三郎にちなんだ名前をまんじゅうに付け、今では名前とともに親しまれているそう。パリ万博にたった一人の商人として乗り込んだ清水卯三郎は女性が着物でもてなす茶屋を企画するなどアイデアマンだった。その後歯科器具の輸入や専門書の出版など日本の発展に貢献した。羽生周辺は藍や綿花の栽培が盛んだったことから関東有数の藍染の産地で、藍染工房では外国人や子ども向けの体験教室に注力しているとのこと。
