TVでた蔵トップ>> キーワード

「羽田総理」 のテレビ露出情報

1993年自民党への政治不信などから誕生した非自民の連立政権。その後継に指名されたのが、新生党を中心とした羽田連立政権。政治改革の継続を掲げていた。当時、羽田連立政権が過半数を維持するうえでなくてはならない存在だったのが社会党。しかし、首相指名直後、新生党の小沢一郎氏らが連立で最大の議席を持つ社会党の影響力を抑えようとしたことから対立が勃発。組閣前にもかかわらず羽田政権は少数与党としての船出を余儀なくされた。その後、社会党などの協力で羽田政権は予算案を何とか成立させたが直後に自民党が内閣不信任決議案を提出。命運を握る社会党との連立復帰のために羽田政権は奔走するが、このときすでに野党、自民党と社会党との間で協議が進んでいた。その結果、主だった政策も実行できないまま在任わずか64日、戦後2番目の短命で羽田政権は総辞職に追い込まれた。そして、自民党などと連立を組んだ社会党から委員長の村山氏が総理に指名された。そして今、少数与党の石破政権、命運を握る国民民主党の動向が注目されている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年11月3日放送 7:30 - 8:55 フジテレビ
日曜報道 THE PRIME(日曜報道 THE PRIME)
当時新生党という党で連立を組んでいて最初、細川元総理が誕生する前に羽田氏の方が先に総理大臣になると言われていたが、細川元総理が退陣した後に羽田氏が引き継いだ。そのときに細川政権に入っていた連立政権に入っていた社会党が事実上、抜ける形で少数与党として羽田内閣がスタートしたが短命に終わった。国民民主党の玉木代表は同じく少数与党となった石破政権について「今までは国[…続きを読む]

2024年10月28日放送 21:54 - 23:10 テレビ朝日
報道ステーション(ニュース)
衆議院選挙。少数与党での政権運営。1993年の日本新党・細川護熙内閣で8党派での非自民非共産連立政権が発足(社会、新生、公明、日本新、民社、さきがけ、社民連。ほか共産、無所属)。自民党発足以来初めて野党に転落。細川内閣は8か月後に総辞職。新生党・羽田孜氏が総理大臣に指名されるが直後に社会党が離脱。在任64日で総辞職。社会党・村山富市内閣発足(自社さ連立政権)[…続きを読む]

© 2009-2024 WireAction, Inc. All Rights Reserved.