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「祖母 いなよ」 のテレビ露出情報

調査の依頼者である荒井美樹さんが登場。調査依頼は「先祖は代々伊達家の家臣!?奉行もいたというが本当か」について。荒井家の最も古い戸籍を遡ると幸之進という先祖の名前が記されていた。荒井幸之進の手がかりを探して仙台市博物館へ行き調査に協力していただいた。幸之進は藩主の身の回りの世話をするちご小性という役割。調べを進めると、幸之進から2代前の家長の名前を見つけた。江戸中期の先祖・加右衛門 盛従は数多くの奉行職を経験。果たして名奉行と呼ばれるほどの活躍をしたのか。東北大学の蝦名さんと仙台藩に関する別の資料を読み解く。数々の奉行職を務めた盛従。その中でもある役割で特に実績をあげていた。町奉行としてどんな裁きをしたのかも記されていた。ある日盛従のもとに人々を混乱させた怪しい僧が連れてこられた。罪状を問うと話せないふりをして筆談で答えた。僧が書いたのは日本では主に仏教で使われた梵字。文章を理解できず審議が進まないだろうと考えた。ところが盛従は徹也で梵字を学び文章を解読。翌日の裁きで矛盾点をつき、驚いた僧は罪を認めた。生真面目で努力家だった盛従だがさらにその人となりがわかる資料が残されていた。町奉行の辞職を願い出た文章の写しである。盛従は弱い立場の人から罪を犯した理由を聞き出せず、本当に正しい審議ができているのか悩んでいた。そうした姿勢を評価していたのが7代目藩主の伊達重村。盛従の辞表を受け取らず、強く遺留していた。基金対策や医療政策を押し進めた大岡越前と同じように盛従は庶民の苦しみに目を向けていた。盛従の活躍からおよそ150年後、荒井家の運命が激変する出来事が起きる。戊辰戦争が勃発し旧幕府軍に味方した伊達家は敗れ、家臣たちも離散した。最も古い戸籍によると荒井家は明治時代に仙台を出て現在の大崎市三本木に移っていた。
依頼者・美樹さんのいとこである荒井進を訪ねた。進さんは幼い頃、祖母のいなよから明治時代の先祖について聞いたという。名家のプライドがあった荒井家は時代の急激な変化についていけず、財産を減らしていく。明治38年に東北で起きた大飢饉について志田郡の状況が記録された資料では皇室から一時金が配られたことが記されていた。この援助を貰った人たちの中に、依頼者美樹さんの曽祖父・盛典の名があった。そんな荒井家に昭和14年に誕生したのが美樹さんの父・春夫である。生活が苦しい中、中学卒業後に東京に集団就職。その後仙台のガラス店で働くと店を任せられるようになり、窓ガラスの設置や交換に奔走した。かつて仕事を頼んでいた斎藤さん夫妻によると春夫はとことん客に寄り添う人だったという。そんな春夫に一目惚れしたのが隣の洋装店で働いていた薄場貞子で依頼者・美樹さんの母である。

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