大河ドラマ「光る君へ」で、まひろが旅で立ち寄った九州で起きた刀伊の入寇が描かれた。迎え撃つ軍の指揮を取ったのは藤原隆家。藤原道長のおいにあたり大宰府に来ていた。倉本教授に「刀伊の入寇」とはどのようなものだったか聞いた。「刀伊の入寇」は、寛仁3年(1019年)に日本が初めて外国勢力に大規模に侵攻された事件。刀伊は、中国東北部の東部から沿海州沿岸にかけていた東女真族のことと言われている。50艘くらいの船で北部九州に襲いかかった。この事件が起きたときに隆家が大宰府にいたというのは、日本にとって幸運なことだったという。隆家でなければ九州の武者たちを組織することができなかったという。隆家の父は一条天皇の時代に摂政・関白を務めた藤原道隆で、隆家は若いときから中納言まで出世している。道隆の死後、都では彼らの権威は没落。九州では未だに摂政・関白の子どもとして大きな権威を持っていたという。他にも、九州の情勢に詳しい藤原実資と仲が良く、有事が起こったときの対応を実資から直接レクチャーされていた可能性が高い。隆家を中心に撃退した結果、九州で戦った人達が後に武士化して九州武士団を作った。多くの人が隆家との関係を先祖の物語として作り上げ、中には隆家の子孫を名乗る家も出てきた。そして武者たちの子孫は日本の歴史において数々の戦で活躍している。九州武士団は南北朝の動乱などで活躍する。倉本教授が注目するのは、藤原隆家を始めとした軍が撃退したが、これによってこの後国防を厳重にはしていない。1つには、都の貴族はこの事件をそれほど重大な事件だと認識していなかったことによる。またこのとき、左大臣の顕光が辞任するという噂が出ていて、その代わりに誰が大臣になるかということで大きな騒動が巻き起こっていた。「光る君へ」の次回予告が流れた。