事故から9か月が過ぎた頃、順子さんは神戸市内の病院に転院。脳挫傷の患者に時折起きる攻撃的な言動が増え「どうでもいい」と繰り返していた。長い介護生活に家族も疲れていた時に提案されたのはプールでのリハビリ。歩く感覚を思い出してもらうのが目的で順子さんは必死に足を踏ん張ろうとした。気がかりだったのは食事をしないこと。事故直後、口の中がガラス片で埋まっていた順子さんは生きるために飲み込まないよう耐えていた影響か、物を食べることを頑なに拒否していた。事故から11か月後、順子さんは退院した。順子さんは近所の人からもらったプリンを初めて口にした。この日を境に順子さんは食事を摂るようになり笑顔も増えていった。事故直後、腫れ上がっていた脳は約2年後には格段に回復したが記憶障害が残った。
住所: 兵庫県西宮市鷲林寺南町2-13