佐藤二朗は関ヶ原の戦いで逃走に成功した島津義弘を徳川家康が放任していたとは考えにくいと尋ねると、河合氏は「のらりくらりとかわし、出頭要請に応じなかった」と語った。東軍の武将たちの仲介もあってか、家康は「頭を下げれば許す、領地も一切減らさない」などと譲歩した。鹿児島では島津勢の足跡をたどるイベントが催されている他、西郷隆盛と並んで島津義弘は英雄視されているという。河合氏は「戦国大名にとって負けたら逃げるというのは恥ではなく、逃げた後に再起を図る方が重要」と語った。佐藤は60を過ぎても戦場に立ち、負けても故郷へ戻った島津義弘に刺激を受けたという。