受験の歴史を大調査。昭和24年、国は新たに69校の国立大学を設立。大学入試が全国的に広がっていき、昭和34年には大学進学希望者は50万人超え。この頃から、将来を見据え、小学校受験も盛んに。小学校ではガラガラ抽選機での入試、高校受験ではテレビ面接も。東京大学教育学部附属中等教育学校では、1953年から現在まで毎年最大20組の双子枠を導入している。『学校生活などの環境の変化でどんなところに差が出るのか?』など研究する目的。1970年代に入ると、大学独自の試験1回のみだと、受験生の学力レベルが判断できないという問題から「共通第一次学力試験」を導入。国公立大学を受験する人は、1次試験として「共通第一次学力試験」を受けることが必須となった。問題「50年前、変わった方法で勉強を教えるサービスがあった。一体どんな方法?」、正解「電話で勉強を教えるテレフォン教室」。1980年代になると中学受験も激化。1990年代に入ると、面接試験対策として、両親向けのお受験必勝ビデオが発売。1990年(平成2年)、共通第一次学力試験は「大学入試センター試験」へ。国立大学だけでなく、私立大学も1次試験として利用可能になり、受験生はさらに増加。受験戦争は激化し、様々なものにあやかる合格祈願グッズブームが到来。問題「合格のゲンを担ぐという意味で、いよかんの形にある特徴が。一体どんな特徴?」、正解「五角形のいよかん」。1994年(平成6年)には、受験のお守りとして巨人・槙原投手のベースボールカードを持つ受験生が続出。問題「なぜ槇原投手のベースボールカードが受験のお守りになったのでしょう?」、正解「完全試合達成」。