太養パンの家族に密着。開店まで2時間、4時間半で1800個の成形が完了した。和菓子職人だった初代の秀一さんは移民として渡航したハワイで食べたパンに衝撃を受け、帰国後1916年にに諏訪で太養パンを創業。製糸工場で働く女性の間で当時ハイカラだったパンがヒットした。透さんは22歳の時に東京のパンの名店で修行。朝5時、フランスパンの生地作り。フランスパンの生地は繊細なため機会は使わずに手作業で分割する。1980年代の諏訪地域ではフランスパンを売る店は少なく透さんは美味しいフランスパンを知ってほしいと考えていたが、当時は受け入れられずに残っていたという。売れない日が続き赤字が膨らんでいったが、その後サバサンドがヒットした。