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「谷川多喜子」 のテレビ露出情報

2007年放送の「わたしが子どもだったころ 詩人・谷川俊太郎」を放送。谷川俊太郎へインタビューしている様子が伝えられ、学校については「ほとんど地獄ですね」と語り、学校に関する詩が紹介された。また母については「自分はマザコン」と語り、当時の学校の時間割表や作文、昔の思い出の品などが出されて、谷川俊太郎が思い出を語った。
子どもたちが教室のような部屋にやってきて、そこで谷川俊太郎が子どもたちの質問に答えている様子が伝えられた。また谷川俊太郎が子供の頃に学校をどのように思っていたかという
谷川俊太郎は自身の父と母について、父については「口調にどもりがあり、匂いを覚えている」と語った。他にも谷川俊太郎は父との思い出について語った。また教室のセットで子どもたちと給食を食べている様子が伝えられた。
スタジオに子どものおもちゃなど色々なものを用意。 これらの中から谷川俊太郎の子供の頃の記憶に引っかかる何かを選んで語ってもらうことになった。そこで万年筆などを選んで自身の思い出話を語った。また自身がどのような子どもだったのかということについても語った。最後に子どもたちと紙飛行機を飛ばしながら、「紙飛行機より」という詩が流れた。
スタジオでは谷川俊太郎について話題になった。是枝裕和は谷川俊太郎について「自分の意識の外にあるものが表現されないと詩にならない」ということを話していて、それが「いい加減に作る」という言い方をしていたと語った。また是枝裕和が好きな谷川俊太郎の詩の一節を語った。
谷川俊太郎は全国100あまりの校歌を作詩した。2007年には「どこにもない校歌を作ろう」ということで息子の作曲家・賢作と合作したという。

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