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「豊臣秀吉」 のテレビ露出情報

滋賀県長浜市にある国友町で国友一貫斎は生まれた。当時、火縄銃の一大生産地だった国友村は、最盛期には70軒の鉄砲鍛冶と500人以上の職人がいた。鉄砲鍛冶のもとに生まれた一貫斎は鉄砲鍛冶の名手をして名を馳せていた。長浜城は一貫斎が生まれる前に廃城になったが1983年に再興された。岡本千秋さんは大学時代に一貫斎の魅力にはまり長浜に移住した。現在一貫斎の資料保存や功績の普及活動を行っている。その中で作った気砲記は、空気銃の説明書。この銃を作った事が日本の発展に影響を与えたという。やってきたのはトヨタ産業技術記念館。そこには一貫斎の作った気砲が収蔵されていた。
気砲は、火薬を使用せずに畜気筒のためた空気で発砲する仕組み。空気入れにはネジがついていて、中の空気をいれる仕組み。江戸でオランダ製の空気銃を目にした一貫斎は、火薬を使用しない新しい武器に興味津々。空気銃の仕組みを理解し自分で作成しようとした。その時に気づいたのは中に空気をいれると重くなった。実際にその仕組を空のペットボトルで再現。ペットボトルにポンプを付け、同じものを2本棒につるし、2本のペットボトルの中には同じ量の空気が入っていて同じ重さに。片方のペットボトルに空気をいれる。50回ポンプを押し空気を追加したほうが重くなった。さらに一貫斎はポンプを100回押すごとに増えた分の重量を記録。空気の圧力の存在にも気付いた。最初の100回では23gの空気が増えたが、回が増すごとに少なくなっていて、新たに入る空気の量が減っていった。ペットボトルの実験でもポンプを押すこと40回を超えたあたりで空気を押し込めづらくなった。容器に空気を沢山閉じ込めると堆積は変わらず密度が大きくなり、押し返す力が大きくなった。これこそが空気の圧力。江戸時代に空気の性質を理解していた。そこで気砲には空気が漏れない工夫が施されている。ゴムなどが無かった時代にほどよい弾力のある動物の皮を使用し、ポンプを押す時の空気漏れを防いでいた。皮を使った弁で密封され溝同士がピッタリハマるネジなど、精巧な作りで高い密閉度を保っていた。そして一貫斎が大名の前で試し打ちしたという実物の的も収蔵され、その威力は一目瞭然。オランダ製空気銃の威力を超えた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月15日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団出張!なんでも鑑定団
バイクが大好きなだという仙台健生さんのお宝は「鶴の文様の茶碗2点」。義母から受け継いだものだという。本人評価額は39万円。鑑定結果は2万円。近代に作られた京焼きの茶碗だという。

2025年7月15日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
火曜の良純孝太郎SP石原良純かける小泉孝太郎 軍艦島2025&世界遺産SP
潜伏キリシタンにとって五島列島の福江島は信仰の拠点。1873年禁教令が終わり五島で始めてのミサが行われた浜辺がある。宮川大輔と石原良純が撮影禁止の堂崎教会を見学した。堂崎教会は明治40年、現在の建物が完成した。1587年、豊臣秀吉はバテレン追放令を出しキリスト教の宣教師たちを追放。1597年に26名のキリシタンを長崎で処刑した。堂崎教会には聖ヨハネ五島の聖骨[…続きを読む]

2025年7月9日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
歴史探偵(歴史探偵)
金沢市にある尾山神社には前田利家が祀られている。利家は槍の名手で、約6m近い長槍を操ったのだとか。45歳の時、ニ十万石を与えられた。主君だった織田信長が本能寺の変で討たれ、のちに羽柴秀吉と柴田勝家が激突。前田家を研究する大西泰正氏は利家が柴田勝家側につきながら実は秀吉と内通していたという説を否定し、柴田の勝利のために尽力したと主張する。そんな利家は戦場にそろ[…続きを読む]

2025年6月16日放送 4:55 - 8:00 テレビ朝日
グッド!モーニングGOOD!いちおし
農民・豊臣秀吉、弟・秀長兄弟について静雄赤大学名誉教授・小和田哲男が解説。小和田は「弟は普通の農民。秀吉が信長に認められ出世したとき、白羽の矢が立った。小一郎長秀という名で出てくる。秀吉に仕えたのではなく、信長に仕え、信長から長をもらったからだろう」「越後の上杉謙信との手取川の戦いで、秀吉が柴田勝家と意見対立して先生から勝手に帰っちゃう。軍律違反で信長から謹[…続きを読む]

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