後に千代の富士となる15歳の貢少年が父親に連れられ訪れたのは北海道巡業中の力士の宿舎。各界のプリンスと騒がれていた当時20歳の貴ノ花に会った。体は小さいが大関だった貴ノ花に憧れた。入門後も貴ノ花は「早く上にあがってこい」と励ましてくれる存在だった。入門8年目で初対戦が実現。千代の富士が寄り切りで勝利した。それから3年後、千代の富士が初優勝した場所で貴ノ花は引退を決意した。平成3年の夏場所、千代の富士の初日の相手は貴ノ花の息子・貴花田だった。貴花田が寄り切りで勝利。この2日後に千代の富士は引退を表明した。「体力の限界」で知られる引退会見では「最後に貴花田とあたってね。若い強い芽がずいぶん出てきた。肩の荷が下りた」と語っていた。千代の富士が満身創痍になりながら踏ん張り続けたのは次の世代が伸びるまでは自分が頑張るという責任感だった。貴花田に敗れ花道を下がる千代の富士には笑みがあった。35歳で引退を決意した千代の富士は通算1045勝。ファンのため、相撲界のため、家族のために戦い抜いた22年間の土俵人生だった。