藤堂高虎が築城に関わった赤木城には複数の石垣、断崖があり、石垣をよじ登ろうとしても側面に配置された兵士から攻撃されてしまう。高虎は身長190cm、体重が100kgオーバーだったといい、20歳の時に豊臣秀長と邂逅。近江の職人集団「穴太衆」は自然石を加工せずに積み上げ、石垣を築いていった。野面積みと呼ばれ、赤木城にも採用されている。1581年、秀吉軍は鳥取城攻略に着手した。城の包囲に際し、大軍を効率的に配置するため、高度な土木技術が用いられたという。秀長のもとで最先端の築城術を目の当たりにした高虎は城づくりの名人として名を馳せていく。
住所: 三重県熊野市紀和町赤木122