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「通産省」 のテレビ露出情報

井深大と本田宗一郎は、時代を築き上げた盟友だった。社内報には、本田さんが残した技術や夢が残っていた。この資料の中の本田さんの言葉と井深さんの言葉を元にして、二人の対話を再現した。
二人のものづくりは戦後の荒廃の中始まった。本田さんと井深さんはまだ焼け跡が残る街並みで足並みを揃えるように会社を起こした。ソニーの前身である東京通信工業の設立書には、井深さんの決意が書かれていた。一方、本田さんの社内報には、高らかな社長挨拶が載っていた。本田さんが最初に作ったのは、自転車にエンジンをつけたもので燃料タンクは湯たんぽで、全国から注文が殺到した。そんな二人が出会ったのは昭和30年台のはじめのことだった。出会いのきっかけを作ったのは、本田さんの方だったという。ものづくりに熱中していた二人はすっかり意気投合したという。
世の中の人に喜んでもらえるものをつくりたい、人がやらない新しいことをやってみたいと技術への情熱は二人を激流のように突き動かしたという。本田さんは本格的なオートバイの生産に乗り出し、挑戦したのは箱根の山越え。そのためにとんでもなく高い機械を買い、当時の資本金は600万円のところ買った値段は4億5000万円だった。井深さんは常識的じゃないが山勘で買っているわけではないと話した。自分だけでなく日本も幸せにしないといけないという思いからこの値段で購入し、自社が潰れても国にそれだけのお金が残れば、日本に貢献したんだと思えると本田さんは話したという。本田さんはジュノウ号で劣勢を一気に覆そうとしたが、売れなかった。そこで本田さんはイギリスマン島のレースで優勝を果たすと宣言。実際に見ると、スピードも桁違いでうちのオートバイでは、叶わないと思ったという。
がっかりしたのも束の間本田さんはエンジンの回転数を3000回転から1万回転にあげようとした。ヨーロッパを周り、有り金をはたいて部品を買いまわったという。そのかいもあってか優勝宣言から7年後、世界で初めて全クラス優勝を果たした。同じころ井深さんはトランジスタの大量生産に成功していた。
オートバイで成功した本田さんは自動車の生産に乗り出そうとしていた。ところが通産省から待ったの声がかかった。貿易の自由化に対抗するには大メーカーを中心に合併して、国際競争力をつけるのが先だとの声に本田さんは真っ向から噛み付いたという。本田さんは車の色でも役所とやりあい、消防車の赤と白バイの白を使うことは禁止されていたが、国が色を独占するのはおかしいと役所に伝えたという。評論家はソニーは大企業が大量生産を始める前のモルモットだと書いていた。これに憤りを感じた社員は井深さんに金のモルモットをプレゼント。さらに本田さんの方が怒っていたという。金のモルモットは井深さんのお気に入りとなり、定年退職の写真撮影に使われているという。昭和42年に発表されたN360は爆発的な人気を呼んだが、この車に事故が続発し、企業責任が問われ本田さんは告訴された。検察官立ち会いのもと行われた走行試験は、厳しい批判の目に晒された。1年後本田さんは不起訴になり疑いは晴れた。昭和47年には、CVCCエンジンを取り入れ、これに関し、井深さんは日本に大きな刺激を与えたと話している。
本田さんは社員一人一人が個性を発揮することこそものづくりの原点だと自らも現場で油に紛れていたという。井深さんは本田さんを将棋でいうととんでもなくでかい歩だと話した。自動車レースの最高峰であるF1では本田さんが初めて優勝したときの車を再現する作業が進められていた。昭和40年に優勝したエンジンの音は本田サウンドといわれている。
昭和48年本田さんは突然の社長引退宣言で世の中を驚かせた。若手との意見を食い違いだったという。本田さんを説得できなかった社員は失踪事件を起こしてしまったという。この出来事は本田さんを大きく揺さぶったという。次期社長に45歳の若手を任命して、身を引いた。引退してから10年後の記念式典では2代目社長が51歳の技術者を社長に任命して引退した。新社長になったのは本田さんと対立して失踪事件を起こした技術者だった。
F1人気選手のアイルトン・セナ選手も本田さんのエンジンに魅せられたうちの一人だった。アメリカデトロイトにある車の殿堂には世界の自動車王の中に本田宗一郎が日本で唯一人殿堂入りしている。殿堂の入り口にあるサイン帳には本田宗一郎さんの文字があり、夫人を連れて訪れていたことがわかった。
井深さんが最後に本田さんに会ったのは5月の末だった。その後1通の手紙が届き、それは毎年行っている鮎釣りパーティー中止の知らせだった。この便りから2ヶ月後本田宗一郎さんは息を引き取った。本田さんのスケッチブックには名もない草花や富士山が描かれていたという。最後には人生を楽しませてくれてありがとうというメッセージが残されていた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年6月12日放送 10:40 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブル深堀りボード
アメリカはサッカー不毛の地と言われていたが1994年W杯が開催され1996年メジャーリーグサッカーが開幕。ベッカムなどが参戦しサッカーは新たなアメリカの人気スポーツになった。2023~26年FIFA予想収益は約2兆900億円で北中米大会は過去最大収益の見込み。また、2016年からアフリカに1600億円以上を投資しアフリカ全体レベルを底上げした。

2026年5月16日放送 17:30 - 18:50 TBS
報道特集(特集)
中国経済に詳しい津上俊哉氏は中国も日本同様石油の備蓄に力を入れてきたと説明。「1990年代から日本は石油備蓄の優等生だった。『石油備蓄は大切ですよ』というい語りかげはずいぶん中国にしていた。日本の石油ショック以降の国家備蓄は良いお手本ではあったと思う」などと語った。

2026年1月13日放送 19:00 - 21:00 テレビ朝日
プラチナファミリー&火曜の良純孝太郎小泉孝太郎&高嶋ちさ子 華麗なる一家をのぞき見
偉人を祖父に持つ信哉さんのご自宅を訪問。ご先祖様は戦後の日本復興に大きく貢献した一人と言われている。信哉さんは古美術巡りが趣味だが、古美術好きは母方の祖父である文芸評論家・小林秀雄の影響とのこと。信哉さんの職業は文筆家。その前は細川護熙の秘書をしていたという。
信哉さんは暑い季節になると軽井沢の別荘で暮らしているという。ご先祖様も晩年は軽井沢へよく訪れてい[…続きを読む]

2025年11月1日放送 20:54 - 21:00 日本テレビ
シャカレキ!〜社会歴史研究部〜(シャカレキ!〜社会歴史研究部〜)
1973年11月1日、大阪で起きたトイレットペーパーの買い占め騒動を受け当時の通商産業省が買い急ぎを慎むよう呼びかけた。第4次中東戦争勃発による石油価格高騰いわゆるオイルショックを背景に政府が紙の節約を呼びかけたや一部の小売店が販売数量を制限したことなどから人々がスーパーに押し寄せた。

2025年10月24日放送 11:05 - 11:30 NHK総合
探検ファクトリー(探検ファクトリー)
工場ではパイプ椅子や劇場用のいすなどを作っている。会社が長年にわたり力を入れているのがスタッキングチェアで、積み重ねてコンパクトに収納できるいすのこと。会社では創業85年で181回グッドデザイン賞を受賞している。スタッキングチェアは高さ約2mの中に50脚も収納できる。
スタッキングチェアの製造工程を探検。パイプはロボットベンダーという機械でいろんな方向や角[…続きを読む]

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