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「GHQ」 のテレビ露出情報

ゴジラなどで知られる円谷英二監督がかつて企画した「日本ヒコーキ野郎」という幻の映画。主人公のモデルとなったのは民間の飛行機開発の草分け的存在だった伊藤音次郎という人物。彼の半生を現代に伝えようと取り組む人がいる。先月、千葉県習志野市で伊藤音次郎をテーマとした講演会が開かれた。講演した長谷川隆は小学校の教師を退職したあと伊藤の功績について調査し広める活動を続けている。明治24年生まれの伊藤音次郎は17歳のとき、世界で初めて有人飛行に成功したライト兄弟の映像を見て飛行機の開発を志した。国産機開発の第一人者に弟子入りしたあと、大正4年、24歳で独立。みずからの研究所を立ち上げた場所は現在の千葉市内にあり、ここには民間航空発祥の地という記念碑が建っている。今は住宅街に囲まれた公園の一角だが、かつて、一帯は砂浜だった。砂が硬く障害物がない真っ直ぐな海岸は飛行機の滑走路として絶好の環境だったとされている。長谷川は伊藤が晩年まで60年にわたって書き続けてきた日記やメモをすべて読み込んだ。伊藤が一気に名をあげたのは独立の翌年、短い木材を継ぎ足し中古のエンジンを積んで手作りした飛行機で千葉と東京の往復飛行を初めて成功させた。1時間近くの飛行はほとんど成功例がない時代、その快挙は新聞でも大きく報じられた。伊藤は招待を受けて全国各地を巡回、向かったさきざきで大歓迎を受けた。ところが台風による高潮で研究所の建物が自宅とともに全壊。一時、避難も余儀なくされた。それでも伊藤は諦めず資金を工面して翌年、現在の習志野市に建物を再建。数々の名機を生み出し国産機で初めて連続宙返りを成功させたとされる機体も開発した。しかしその後、待っていたのは厳しい開発競争だった。軍からの仕事を積極的に請け負った中島飛行機(現・SUBARU)などが事業を拡大する中、経営難が続き、あくまで民間事業にこだわったとされる伊藤は戦後、GHQによって飛行機の開発が禁止されるまで技術者の1人として開発に関わり続けた。伊藤の足跡をたどってきた長谷川は信念を曲げずに夢を追い続けた人生に強く惹かれたという。先月の講演会の会場には伊藤の実の娘・井上和子さんも訪れた。12年前、長谷川に日記などの資料を提供し調査のきっかけを作った。長谷川は去年、研究の成果を1冊の本にまとめた。伊藤の生きざまは移り変わりの激しい現代社会に伝えていくべきだと考えている。長谷川は「夢を諦めずに持ち続けて挑戦し続ける心。そういったことが今の時代本当に必要。音次郎さんの生き方はその1つの典型かと思い、自分ではそこまでできなかったが伝えることは私にはできる」と話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年5月12日放送 19:00 - 21:54 テレビ朝日
クイズプレゼンバラエティーQさま!!Qさま!!3時間SP
47都道府県を大調査して見つけた超貴重映像ベスト20。「4位の超貴重映像、この建造物は何?」「空撮で記録されたこの場所はどこ?」などと出題。

2025年5月11日放送 8:50 - 8:57 NHK総合
アナウンサーの100年(アナウンサーの100年)
人々の暮らしに寄り添い続けてきたラジオ。1925年3月22日にラジオ放送が開始した。198年に「ラジオ体操」が放送開始、担当したのは陸軍出身の江木理一。やがて放送は戦争一色になる。ラジオが国民の声を伝えるようになったのは終戦後のこと。日本の民主化をはかろうとするGHQがマイクを庶民に解放するようNHKに指導したことが契機だった。藤倉修一アナウンサーは街頭録音[…続きを読む]

2025年4月30日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
奇跡体験!アンビリバボーナゾ建造物
長崎県佐世保市針尾中町には自然の中に建つ奇妙な塔が3本ある。日本海軍が遠距離の通信を行うために使用していた無線塔。軍事施設で日本海軍によって終戦後GHQに押収される前に資料は全て破棄された。電波は電線から垂直方向に飛ぶ性質があるため、電線を地面と垂直にできるだけ長く設置する必要があった。電線を支える塔も高くしなければならなかったという。1本の電線だけでは揺れ[…続きを読む]

2025年4月29日放送 6:10 - 6:53 NHK総合
放送100年特集 食べることは生きること「きょうの料理」誕生秘話食べることは生きること ~「きょうの料理」誕生秘話~
東京港区にある放送博物館。今回の取材はその収蔵庫に眠る資料を掘り起こすことから始まる。放送初期から戦争に至るまでの貴著な記録。全てのページを確認すると3000を超える料理を紹介していたことがわかった。放送初日、総裁の後藤新平はラジオの使命は文化の機会均等であると宣言。老若男女階級などの壁を無くし、均等に電波を提供するとした。高等女学校への進学が15%に満たな[…続きを読む]

2025年4月28日放送 15:10 - 16:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーンアナウンサーの100年
人々の暮らしに寄り添い続けてきたラジオ。1925年3月22日にラジオ放送が開始した。198年に「ラジオ体操」が放送開始、担当したのは陸軍出身の江木理一。やがて放送は戦争一色になる。ラジオが国民の声を伝えるようになったのは終戦後のこと。日本の民主化をはかろうとするGHQがマイクを庶民に解放するようNHKに指導したことが契機だった。藤倉修一アナウンサーは街頭録音[…続きを読む]

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