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「那覇市役所」 のテレビ露出情報

スティーブ・オーウェンさんの母、ツルさんは29歳の時に米兵と結婚した。ツルさんは沖縄出身だが、家族との記憶がほとんど無いという。沖縄では海外へ移民する人が多く、親類縁者を探したいという相談に対応している。だが、ツルさんに関する資料は残っていなかった。ツルさんの戸籍情報を調べると、渡米前に父、弟、妹は死別していることが判明。ツルさんが25歳の時に撮影した集合写真に着目すると、「女王蜂」と記されていた。米兵に人気のキャバレーで、オーナーと一緒に写っていたツルさんは従業員の1人。その頃、後の夫となる米兵と出会ったと考えられる。
ツルさんの名字は親泊で、同じ名字の方々が調査に協力してくれた。ツルさんの母、カマドさんは別の男性との間に子息を設けていて、子息は2007年に亡くなったが、夫人、その子どもは存命だった。取材に応じてくれ、カマドさんは温厚だったという。7月、取材スタッフはスティーブさん、病床のツルさんに調査結果を報告。親泊の人々が沖縄の民謡「てぃんさぐぬ花」を唄う動画も渡した。2週間後、ツルさんは逝去。9月、スティーブさんが来日し、親泊の人々が歓待した。そして、スティーブさんはいとこたちと対面を果たし、「僕の母とそっくりで驚きました。特に目元がそっくりです」と吐露。いとこたちの父親は生前、ツルさんと交流があり、珍しかったハンバーガーを買い与えてくれたという。
国立公文書館に所蔵されていた史料を紐解くと、戦前、カマドさんは夫とともに南洋のポナペ島に渡っていた。生まれたばかりのツルさんは沖縄の祖母に預けられることに。太平洋戦争で祖母が亡くなり、ツルさんは6歳で一人きりに。カマドさん、ツルさんがいつ再会したのかは不明。スティーブさんは母のツルさんから小さい頃、路上で物売りをしていたことを聞いたことがあるという。女王蜂で働いていた頃、ツルさんが暮らしていたアパートは今も残っていて、部屋を彩ったカーテンは大家が保管していた。そのカーテンがスティーブさんに託された。小池栄子はスティーブさんからの依頼に応えたスタッフたちをねぎらった。
住所: 沖縄県那覇市上之屋1-2-1
URL: http://www.city.naha.okinawa.jp/

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