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「鈴木淳教授」 のテレビ露出情報

東京・墨田区にある慰霊堂。関東大震災の犠牲者を悼むために建てられた。長年関東大震災の歴史資料を分析してきた東京大学大学院の鈴木淳教授。ここは当時被服廠跡と呼ばれる広場で大勢の避難者が集まっていた。そこを炎が渦を巻く火災旋風が襲ったのだという。鈴木教授は被服廠跡の状況について記されたある証言に目を留めた。そこには”焼死者のなかには4日後ごろまで生き残っていたものがずいぶんあった。水!水!と連呼しながら倒れて、1日時間後に息を引き取ったものは4日頃でもたくさんあった”などと記されている。地震から数日間、多くの人が生き延びていたという。しかし、医療を受けられないまま3万8000人が犠牲になった。なぜこのような事態が起きたのか、当時の東京市では約6割の病院が被災し、けが人を受け入れられるような状態ではなかった。大きな被害を受けなかった病院も危機に直面していた。被服廠跡周辺ではすくなくとも5つの病院が火災から逃れるため、患者だけではなく医療関係者も避難を余儀なくされていたことがわかった。災害時の医療の空白は現代に通じる課題と指摘する医師がいる。災害派遣医療チームDMATの指揮をとる近藤久禎医師。病院が避難を余儀なくされる事態は近年もたびたび起きているとして警鐘を鳴らしている。1000年前、被服廠跡で多くの命が失われた東京・墨田区。災害時に拠点となる東京曳舟病院では避難しなくてもすむよう、自力で医療を継続するための対策が始まっている。建物全体を免震構造にするとともに停電を想定し非常用発電機を整備。万が一病院内の設備が損傷しても医療を続けられるよう一昨年全国で初めて医療専用車両を導入した。CTスキャンをはじめ、AIによる画像診断システムなど災害時の救急医療に欠かせない機器を搭載している。一方で、ベテランの医師や看護師が不在でも医療を継続できるよう、どう行動すべきかまとめられている資料も作成。さらに、他の医療機関や行政など地域との連携もすすめ、医療の空白を防ぎたいとしている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年8月21日放送 23:35 - 23:45 NHK総合
時論公論(時論公論)
関東大震災から今年で100年になる。流言による惨事はなぜ起きてしまったのか?事件の教訓を考える。関東大震災では死者10万5000人という災害となり、混乱のなか多くの朝鮮半島出身者が殺害された。きかけはデマだった。デマは市民・国・新聞の三者の間で増幅し殺害にエスカレートした。殺害された人数は千人~数千人にのぼるとされている。この事件を巡って近年活動家などの間で[…続きを読む]

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