TVでた蔵トップ>> キーワード

「鈴木貫太郎」 のテレビ露出情報

明治維新以来、富国強兵を掲げてきた日本は日露戦争に勝利して、列強の一員になった。昭和天皇は日露開戦の3年前の1901年に誕生した。成長して政府高官とも接する機会が増えると社交面での問題が度々指摘されるようになる。1921年にヨーロッパ外遊へ向かい、ジョージ5世と対面して日英同盟の絆を示した。またそこで「君臨すれども統治せず立憲君主」という立憲君主としての心得を学んだという。他にもお忍びで地下鉄に乗車するなど色々なことを体験したという。
ヨーロッパから帰国した皇太子は西洋流をスタイルを実践した。良子女王と結婚。婚礼当日の新聞には背広姿の写真が掲載された。また科学者としての顔も見せるようになり、東宮御所に生物学研究所を設立したりしたという。そして1928年に昭和天皇の即位の礼が行われた。そしてこの年に第一回普通選挙が行われたりしたが、張作霖爆殺事件から昭和の政治は軋むようになった。さらに満州事変が起こり、日本の傀儡国家「満洲国」が建国された
1933年に明仁親王が誕生した。昭和天皇は皇太子に帝王教育をしたが、軍服を着せることは許さなかったという。一方で天皇を神格化する動きがあった。科学を信奉する天皇は神格化の動きに否定的で、美濃部達吉の天皇機関説を受け入れていた。ただ最終的には天皇神格化の動きは加速された。1937年に日中戦争が起こり、1940年には日独伊三国同盟が締結された。
1941年にアメリカとの開戦を求める声が大きくなる中で、政府と軍首脳が集まる御前会議が行われた。そして開戦するという結論になり、天皇は大元帥として戦争主導の立場に立った。戦争の敗北が濃厚になった1944年に天皇は一撃講和に望みを託したが、1945年に東京大空襲があり、8月には原子爆弾が投下されて敗戦した。
1945年の終戦直後の日本をアメリカが上空から記録していた。そして終戦後に昭和天皇から明仁親王へ宛てた手紙の内容が伝えられた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年8月25日放送 22:00 - 22:45 NHK総合
映像の世紀バタフライエフェクト(映像の世紀 バタフライエフェクト)
1930年に選挙で勝利したのは第27代首相の浜口雄幸。5年前に普通選挙が成立し、有権者の数は4倍になり、議員たちは支持獲得に躍起になった。当時は政治と国民の橋渡しになっていたのは新聞だ。当時の日本は世界恐慌による不況のただ中だったので国家予算の大きな比重だった軍事費を抑えたいという思いがあったという。
しかし1931年に満州事変が起こり、首相の若槻禮次郎が[…続きを読む]

2025年8月15日放送 19:30 - 20:42 NHK総合
NHKスペシャル(NHKスペシャル)
金原まさ子さんは東京を離れ一人息子と群馬に疎開していた。前年からアメリカの本土空襲が始まっていた。しかし爆撃を受けたのは主に軍事工場で市街地の被害は限定的だった。舩渡和代さんは国民学校6年生だった。家族はバラバラに生活していた。2月末に父が一家で集まろうと子供たちに手紙を書いた。開戦直後、大東亜共栄圏の建設の名の下、勢力圏を広げた。1月、主に軍事工場を狙って[…続きを読む]

2025年6月10日放送 16:05 - 17:00 NHK総合
午後LIVE ニュースーンおとりよせ@千葉
戦後80年を迎える中、戦時中軍部が徹底抗戦を主張するのを抑えて終戦に導いた鈴木貫太郎について伝える。鈴木が晩年を過ごした野田市には鈴木貫太郎記念館があり、市の施設として日記などを展示しているものの台風で被災する中収蔵品の保管が難しいとして休館が続いている。鈴木が総理大臣となったのは1945年4月のことで、水面下で和平工作を進める中ポツダム宣言が出されると受諾[…続きを読む]

© 2009-2026 WireAction, Inc. All Rights Reserved.