2代目の北条氏綱は宿敵を撃ち倒し、戦乱で焼失していた鶴岡八幡宮の再建工事に注力した。八幡宮の守護者は関東の支配者の資格を有するという意味があったという。懸念材料は木材の確保で、氏綱は房総半島で起きていた大名家の家督争いに介入。一方の勢力に援軍を送り、勝利に導いた。返礼として木材の確保に成功する。さらに奈良から瓦職人を招聘してみせた。父にして初代の北条早雲は室町幕府の中枢で働いていて、京都の武家や公家と人脈を築いていたという。息子の氏綱は公家の頂点である関白にまで上り詰めた近衛尚通の義理の息子にあたる。そして、鶴岡八幡宮の再建に成功し、氏綱は関東を支配する資格を備えた人物と評された。